カテゴリ:子供たち
明日は息子の8歳の誕生日です。
この8年間色々ありました。ありすぎました。 結婚・出産・息子の手術・離婚・シングルマザー・喘息・私の鬱の悪化・再婚・出産・ 本当に色々ありましたが、息子が生まれた時のことは今でも鮮明に覚えています。 1998年2月20日。 朝起きると、何か違和感を感じていました。 おしるしらしきものがあったのですが、はっきりとせずそのままに。 ずっと切迫流産・切迫早産で安静の日々だったのですが、予定日まで3週間もあったのでまだだと思っていました。 昼に徒歩すぐのスーパーへいく途中、破水らしき感じがあったので かかりつけの病院に連絡すると、 「ニオイは?色は?普通すぐわかるのよ?わかんないの?」と責められ(少しの破水は素人にはわかるわけない。) そんな感じで、痛みが出たら連絡してと言われ、不安な中一人部屋で待機。 (本当ならば破水したら即座に入院し、感染症予防をしなくてはいけないのにこの病院は怠った) それから一時間ほどして、やはり不安だったので母にその旨伝えると 「即連絡した方が良い」。 電話し、「お願いだから診て下さい」と告げ、予感があったので入院準備を持っていく。 検査の結果、破水でした(やっぱり。) すぐに早産と感染症予防の点滴をうける。 翌日。 pm3:00 点滴の追加をしてもらっているときにまた破水。 パチン!という音と共にザーーーーッ!!と羊水が出る。 (自分では止めることも出来ない) pm7:00 一時間ほどで痛みが来るがまだ食事も出来る。 pm8:00 痛みが強くなってくるが、「初産だから明日まで生まれない」と言われひとり置き去りにされる pm10:00 酷い痛みで耐えられずに看護士を呼ぶが、「お産はそういうもの。」と、処置もされずにあっさり帰られる pm10:30 痛みが壮絶になり、タオルを咬み耐える。しかしもう死ぬ!!というほどだったのでナースコールを押すが、誰も来ない。 pm10:45 やっと看護士が来て、「何度も・・大げさね」といわれる。(最低!) が、内診したとたんに顔色が変わり医師を呼ぶ。 医師が走って駆けつけるが、医師が白衣も着る間もなく私は出産。 点滴も分娩監視装置も、輸血の準備もなにもなく薄暗い部屋で たった一人で産みました・・・。 そのせいで傷が酷く、出血多量との記載。 娘を出産したときは、7ccだったのですからどのくらい酷いかおわかりでしょう。 (もしなにかあったら訴えようと思うほど酷い病院だった) でも、赤ちゃんは元気で「ほにゃぁ。。」と泣き、私の胸に乗せられたときは 感動で泣きました。 病院は最悪でしたが、赤ちゃんの顔を見ると幸せでした。 珍しく雪の降ったその日、 新生児室の中のどの子よりも小さくて可愛くて、何度見に行ったかわかりません。 お腹に居る頃は元気で、夜私が寝ようとするとお腹の中で動き回って居た子が 目の前に居るって何だか不思議な気持ちでした。 私の赤ちゃん。生まれてきてくれてありがとうって。 幸せな時間でした。 すぐにそけいヘルニアが発覚。様子を見るが、9ヵ月でかんとんヘルニアになり 緊急手術。一歳前の全身麻酔での手術は危険が伴うため、本当に不安でしたが無事3日で退院。喘息での入院も何度か経験しました。 ・・・なんだかんだとありながらも、ここまで大きくなってくれました。 優しく元気な男の子に育ち、今は妹の面倒も見るお兄ちゃんです。 息子のために必死で働き育ててきました。 それはお互いにとって辛い時期もありましたが、それがあるから今があるって 思っています。 小学三年生から四年生は、子供にとって大きな変化のある時期なんだそうです。 息子との時間を大切にして、 「おかぁさん!」と甘えてくれる時期を大切にしなくちゃ。 いつかこの手から離れていってしまうその日まで、ね。 ***************************************************************** 日記リンク、B'zファン様大歓迎します♪ Bro.を探そう♪ お気に入りサイトは見つかった?本日、人気blogランキングは 42位、B'z大好き-Rは2位、B'z応援ランキングは5位です★ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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2006/02/20 03:49:04 PM
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