私の母は15で自分の母を喪った。
長じて父の許へ嫁ぎ、私が生まれた時
母は、自分の母親がいない実家へ戻ることもできず
お産扱いは父がやったそうだ。
父も母も大変で、その時母は思ったそうだ
「この娘が子供を産むまでは絶対に死ねない。」
私が子供を産んだらお産扱いはぜひ自分がしてやらねば
と思ったんだろう。
この話を知り合いにしたら、知り合いも母親から言われた
憶えがあるという。
知り合いの母親は、小学生の時に母を亡くしたそうだ。
誰がお産扱いをしてくれたのか知らないけれど、
きっと知り合いの母も、
私の母と同じことを考えたんじゃなかろうか。
母親を早くに亡くした人でなくても
自分の娘が子供を産むまでは死ねないと思う人って
いるんじゃなかろうかと思う。
そんな、「絶対死ねない」思いって、むかしは
今よりよほど切実だったんだと思う。
そしてそんな使命感や娘に対する思いが、女を
自らは生み出すことができなくなっても
生きながらえさせてきたのじゃないかと思う。
だからね、学者先生、
なんで産むことができなくなっても
人間は生きているのだろうと考えるのではなく
なんで他の動物は
産むことができなくなったら
死んでしまうのだろうと探究してみてはいかがかしら。
そうしたらきっと
生命や自然の豊かさ・厳しさ、そして賢さ多様さが
もっともっと解明されるんじゃないかと思うの。
結局私は産まなかったんだけどさ。