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テーマ:ジュエリー(5287)
カテゴリ:旅路の記憶
楽しかったお出掛けも終わり、今日から通常営業。
と、いいつつも昨日の余韻が残る。 うん、疲れとか、イロイロ。 戦果としての翡翠が採れなかったのは残念だけど、次回チャレンジというかリベンジと言うのか言い訳には、なる。 こんなのが拾えると良いなー、夢は一杯。 お土産に買ったますのすしをウマウマしながらちょっと昔を思い出した。 私の中で金沢というと、1991年のi-CONに参加した時の記憶がメイン。 金沢市文化センターを拠点に友人と遊んだ記憶。 そこの近くで1つの焼き物を買ったのが印象に残り、そして少し悲しい思い出になって残っている。 「大樋焼」という看板に釣られて入ったお店の中で、初心者な私はトコロ狭しと並ぶ器にきょろきょろ。 陶器の器で出来た懸垂とか、大振りで趣のある茶器は見栄えはするが、私のお財布ではとても手が出ない。 お手頃価格の旅茶碗と一輪挿しとで悩んで、結局一輪挿しを購入した。 旅茶碗も良かったけれど、まだ使わないだろうと思ったから。 地元に戻り、毎週通う茶道の先生に金沢土産のお茶菓子を届けて焼き物の話もした。 「大樋焼は私も持っていないわね」と先生曰く。 そこから名物裂などの話になり、食べ物の話に、と取り留めもなくなったのは女性同士故か。 その先生が亡くなったのはそれから7年後。 亡くなる前日に「はやく先生の所に行って来ないと、大変だ」と思った。 仕事に出る為に玄関を閉めていた私の「後ろの誰か」が「早く早く」と怒って急かす気配がする。 とにかく落ち着かない気分のまま仕事を済ませ、かねてから入院していた先生の病室を訪ね・・「後ろの誰か」に感謝した。 既に親族の方々が集まり始めている雰囲気に「ぎりぎり間に合った」のだと判る。 病室で横たわる先生はそれでも私が誰だかちゃんと判ってくれたようで、一生懸命に動かす口元に既に声はなく・・・泣かないようにすべきなのか泣けば良いのか判らなかった。 暫く一緒に居させてもらって、それから病室を後にした。 すぐに同じ先生に師事する妹と社中(同じ先生に師事している仲間)に連絡を入れて、状況を伝える。 そして訃報が伝えられたのは次の日の午後だった。 複雑な家庭事情で身寄りは弟さんと妹さんのみだった先生。 親族も付き合いも少ないので、社中の弟子が葬儀のお手伝いをする事になった。 それからしばらくして、先生の妹さんから連絡を貰った。 遺品の整理をする前に弟子達に形見分けをと依頼されていたとの事で、日にちを決めて集まった。 トコロ狭しと並ぶ茶器やお道具達。 その中から2つづつくらい好きな物を選んで欲しいと言われ、私が選んだのは先生が好きだと言ってた柄の茶碗と、もう1つ。地味な包装紙に包まれた大樋焼の茶碗だった。何事にも几帳面だった先生はお道具の箱の中に書き付けも入れて残しておられた。 大樋焼の購入日時は1992年、私と先生が金沢の話をした半年後だった。 好奇心おう盛だった先生の行動の早さににやりとしながらも、このお茶碗を出して一緒に釜を囲む事が出来なかった事が少し悔しかった。 今この茶碗達は父親の茶室の管理をしている妹に預けてある。 誰かにお茶を振る舞う時に、場に相応しければ使ってくれと伝言もしてある。 抹茶茶碗は茶を立ててこそ。故に。 今年も命日を過ぎた所で、ふと思い出した事でしたよ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009年10月22日 15時03分59秒
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