火水伝文P94-97
数多ある病も怪我も、すべてメグリ由に申して居るのざから、 チョットはス直に聞いてくだされよ。 いかに医学が進歩致しても少しも病が無くならぬのは、 人の生かされある、真釣りを知りてないからであるぞ。 火水マ十字にに組み結ぶ真釣るハタラキを知りて無いからであるぞ。 病や怪我言うは真釣りが揺らぎて十字が崩れて居るから、 メグリと成して肉のお宮に型を示されある情けが解からぬから、 真釣るご苦労が先じゃ言う事も解からず、始めから形の修繕に 入りてしもうて直りた積もりで居られるが、 もともとマコトの因は肉のお宮にござろう筈も無いから、 いかに現れた果を首尾よく取り除きたところで、マコトの因は 増えは致すやも知れんけれど、減りは致しもさんから、 今様の医学にてはマコト癒すは出来もさんと申して居るのじゃ。 今の世は何事も正位正順が逆様じゃ申して居るのぞ。 人間申すものは、顕幽双方に生かされあるものでござるから、 死してもメグリは減りもせず持ち行くものにてあるから、 メグリ申すものは今様の医学の手に負えん事位解かりたで あろうから、ス直にこの方の申す様にしてみて下されよ。 真釣りが崩れた申すは天地の理法に違反した言う事でござるから、 天地の御恩にケジメも取れん様な生き様の時がありたからで あろうから、今生に覚え無くありても、今様に型示しあるは現 実なれば、違反致し来たりたも必ず事実あるをハラから 認めるス直持ちて下されて、 天地の御祖の大神様に天地の何かの真釣りに外れたる御無礼を お詫び申し上げ、間違いのありたを、今より以上の大難なる前に、 気付かせありたご守護の情けに感謝申し上げ、主がうつけなばかりに 何の罪科も無き尊き神の肉宮に、痛い思いをさせてすまなんだと 心からのマコトのお詫びが出くたなら、出くたその時その場から この方が善き方に向けて差し上ぐるからと申して居るのじゃ。 念での操作はしてはならんぞ。気を付けて置くぞ。 今様の人民様にありては特に心濁り行きてしもうて、 楽なやり方ばかりに頼りて居るから、治りた時の事のみ思い描きて、 病治るを図るが如きやりようを唱うる者共に付き従う人民様 数多出てくるが、悪に魅入られて居るのじゃぞ。 逆様でござるのじゃ。改心申すはそんな事では出来はせんぞ。 楽に走らず感謝を持ちて、苦を抱き参らせなば至るは適わぬ 改心でござる由、くどう念を押し置くぞ。 今今の時申すはマコト持ち行く者は善き方へ、マコト持ち行けぬ者は 悪き方へハキリタテワケの響き鳴り成りて居る由くどう申して 居るのざぞ。やって見なされ。この方に二言は無いのであるから、 汝等に不治の病申すものは無いのであるぞ。 いつまでも水を基の台と致して居るから直らんのであるぞ。 病魔申すものはマコトの響き輝き出せば恐ろしくてそこには 居られん様になるから言うて居るのじゃ。 この方、情けも花もあるによりて申して居るのぞ、ならぬカンニン して下されて、嘘ざ思うところを今一度信じられて、もはや無駄じゃ 言うところをまげて気ばりて下されよ。 マコト改心なされた尊き御子を一人たりとも見過ごしには致さんから、 信じ頼りてやりて下され。 火を基の台と成すマコトの力徳見せて上ぐるぞ。 ということで、病気だけでなく、人間関係すべての現実 自分の体調何もかもにこの事が言えるんだなぁ~ん。 自分自身が自分に感謝を捧げることがまずの一歩。 やるもやらないも自由だけれど、ス直にやってもらえたら うれしいなぁ、とcafeHIZUKIをやりながら伝えている私です。