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おしりに火がつかないと動かない、兼業主婦。 できることなら、ずっとのらりくらりと生きていきたい。 ときどき翻訳も。料理書中心の「お菓子な翻訳家」です。
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この記事は、自分の備忘録です。
もう、コロナも昨年5月?に5類に移行して、 行動制限・濃厚接触者・自宅待機期間の設定はなくなりましたが 今でも一応患者数のカウントはしていて、 また増えているようですね。 コロナの行動制限等が最も強かった時期、 驚いたことを忘れないうちに書いておこうと思います。 ① 私は埼玉県在住です。 埼玉県からは毎日本当に多くの人が東京に移動していきます。 職場、学校、そして高度医療を受けるための病院も、東京に行っています。 コロナ最盛期に、東京の病院が、埼玉からの(埼玉に限らず、千葉からもかもしれません)患者を 受け付けなくなった時には、本当にびっくりしました。 埼玉在住で、東京の病院に勤務している医療従事者もとても多いのではないかというなかで、 自分たちの出身県の人をシャットアウトする・・・そんなことある?という印象でした。 東京には東京の言い分があるでしょう。 東京は人口が多いから、近隣県のことを考えていられないなど。 でも、労働力を近隣県に頼っておきながら、それはないだろうと思いました。 埼玉県は、人口に対して医師の数が少なく、全国でもワースト1位になるくらいの 医療過疎地です。 東京に近いから東京にいけばいいと考えていたのもあります。 まさか県境で拒絶されるなんて、考えられませんでしたから。コロナまでは。 そんな状況だったので、コロナ初期のころ、東京では高齢者しか亡くなっていない状況でも 埼玉ではばんばん40代や50代の方も亡くなっていました。 当時埼玉県では、「コロナにかかってはいけない」という緊張感が高かったですね。 埼玉県の医療の脆弱性をひしひしと感じました。 コロナで驚いたことのもうひとつは、 ②病院ごとに協力体制がないこと これもずっと知らなかったのですが、病院って基本的に、お互いに協力するという体制はないんだなーと思いました。 コロナの対処法がまだわからなかったころ、少なくない数の大病院がコロナ診療を拒否しました。 入院の病床も、誰もコントロールできず、結果として 善意の病院がいっぱいいっぱいになりながら引き受けていました。 旭川のように、大学病院が、派遣していた医師・研修医を一方的に引上げさせ、 地域の病院を侮辱するような例もありましたね。 これも本当に驚きました。 少なくとも国が、空病床の把握、入院のコントロールくらいできるものだと思っていました。 のちに、「新宿モデル」というような高度医療施設から下位病院まで、 協力して患者を診るシステムができるようになったようですが、 それもわずかな例だったと記憶しています。 コロナの時期は、本当に驚くようなことがたくさんありました。 普段、県境というものをあまり感じずに過ごしていましたが、 この時ほど、県境の高さを意識したことはありませんでした。 (県境を越えてはいけない、という時期もありましたね) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
February 6, 2024 04:16:00 PM
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