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今日は楽天ニューヨークイーグルス仲間のNYのゆーみんさんの昨日の日記からのリレー日記です。 こないだの金曜日、ゆーみんさんを誘って近代美術館(MoMa)に行ってきた。 つい先日リニューアル・オープンしてマンハッタンに戻ってきたばかりだし、 これまたNYイーグルス仲間のひまわり娘さんが早速行って めちゃくちゃ気に入ったと日記に書いてあったし、 日本人建築家の手による建物のデザインも興味があったし、 何しろ毎週金曜日は夕方4時から8時の閉館までの間は入館無料。 ものすごい人の行列が出来ていることを覚悟して行ったら、 思ったよりも列は短く、しかも列はどんどん動いていたので待ち時間も二分ほど。 中も人でごった返して作品がよく見えないんじゃないかと思っていたら、 確かに普段よりは人間が多いけれど、別に人にぶつかったり、 誰かの頭が邪魔でなかなか作品が見れないというようなこともありませんでした。 ま、お正月も過ぎて観光客もそろそろ一段落したころだったからか。 さて、私、元々近代アートはあまり好きではない。 それよりはファインアートの方が好き。 何でも白黒で写真とりゃいいってもんじゃない。 でも、広告とか商品のラベルとかのコマーシャル・アートは好きですけどね。 楽天日記に載せるネタがあればすかさず書こうという目論見で来ているので 私はデジカメを持参していった。 しかし、いまいち、写真に撮るほど面白いものもなく、 デジカメはポケットにしまわれたまま活躍する機会も無いまま終わってしまうかと思われたその時、 「うに」が視界に飛び込んできた! えっ? あっ、アニメヘアだ! 髪の毛をうにのようにツンツンと尖らせたアジア人の男の子。 アジアン・アニメ・ヘア発見! ああぁ、これは写真に撮るしかない! 一度通り過ぎていったのをわざわざ引き返して写真に撮りました。 あからさまに写真を撮るのもなんなので、 展示されている絵画を撮るふりをして。 (どうもゆーみんさんはその隣でポーズをとっていてくれたらしいが、、、。) その、うに君の写真がこちら。 ↓お前はヘルレイザーか! ↓これが映画ヘルレイザーのピンヘッド。 ↓前からみると意外と地味な顔。魔道師・失格? ↓ちなみにこれは私。穴があったら覗きたい!?(Photo by ゆーみんさん) さてさて、美術館の後、コリアンタウンで韓国料理をいただきながら ゆーみんさんとミーハー話に花を咲かせました。 ゆーみんさんは、芸能一族の出なのか、芸能界のいろいろな噂話に通じている。 反町○○はジャニー○事務所社長のジャニー○○川さんにやられるのが嫌でジャニー○を飛び出した? とか、マッ○の両刀使いが嫌で○菜は手首を切った?とか、、、、。 妹さんは芸能プロダクションのマネージャーをしていたそうだし、 (妹さんではなくいとこの間違い) ゆーみんさんのはとこが○トミだったり、 遠い親戚が○シちゃんだったり、、、。 恐るべし、、、。 彼女の昨日の日記にも書いてあったが、 子供の頃にちびっこバレエ団に入っていて テレビ番組に時々出演していたそうだ。 その時に当時「カナダからの手紙」がヒットして一躍人気者になっていた(?)畑中葉子と会っているらしい。 で、その数年後に畑中葉子が脱いでショックを受けたらしい。 畑中葉子って、歌手として人気が無くなった後、日活ロマンポルノに出ていた。 当時子供だった私はもちろん見たことは無いが、 「エロい」クラスメートがよく、畑中葉子のことを話していたし、 畑中葉子が『後ろから前から』という歌を出したと騒いでいたので知っている。 実は私、「カナダからの手紙」、姉達がよく歌っていたので知っているが 実際にテレビ等で見たことがあるかどうか、よく覚えていない。 だから畑中葉子って言われても顔がよくわからない。 なので、探してみました。 ↓これが畑中葉子。この写真からすると当時は清純派アイドルだった模様。 ↓これが大ヒットした「カナダからの手紙」。先生である平尾昌晃とのデュエット。 ↓これが「後ろから前から」。い、いかん!びーちくが透けて見えている!PG-13にしなくちゃ! 調べてみると、畑中葉子は八丈島の出身らしい。 高校生のときに「平尾昌晃歌謡スクール」に通い、 そこで先生である平尾昌晃に見出され、 1978年、平尾昌晃とのデュエット曲「カナダからの手紙」でデビュー。 (当時まだ高校生。) この曲はオリコン1位を獲得し、70万枚を売り上げる大ヒット。 その後、この先生生徒コンビで「エーゲ海の旅」「サンフランシスコ行き」と 海外旅行シリーズで二匹目のどじょうを狙うも失敗。 (「エーゲ海の旅」は一応オリコン最高20位まで行っているが。) その後、1979年にソロでレコードをリリース後、 翌年の1980年には早くもにっかつロマンポルノ出演。(早っ!) 「愛の白昼夢」(1980)、「後から前から」(1980)、 「モア・セクシー 獣のようにもう一度」(1981) 「セクシー・ぷりん 癖になりそう」(1981) の四本に出演。 しかし、当時高校生だった彼女が、既に作曲家として 大物の地位を確立していた平尾昌晃とのデュエットという 強力バックアップでデビュー出来たのは やはり純情そうな顔していても しっかり平尾昌晃をたぶらかしていたんだろうな、きっと。 そう考えるとロマンポルノに出ている彼女の方が本物なのかも。 ちなみにこの時リリースしたシングルには「後ろから前から」の他に 「もっと動いて」というのもあるらしい。(笑) 「後ろから前から」はオリコン最高69位まで上がり、2.4万枚を売り上げた。 (しかし最高順位が69位っていうのも笑える。) その後、芸能界から引退していたようだが 2000年夏より、芸能活動を再開。 所属は太田プロ。 太田プロ内の畑中葉子のページはこちら。 (おまけ) 畑中葉子の「うしろからまえから」は「後ろから前から」ではなく「後から前から」と書くのが正しいようです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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