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Canon Boy のブログ

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May 7, 2018
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(*城ごとの整理の為、リメイクしました 2013年3月30日攻城)

岡崎城HPより抜粋

岡崎城の沿革

 岡崎城の起源は15世紀前半まで遡ります。明大寺の地に西郷頼嗣(稠頼)によって築城されたのがそのはじまりです。その後、享禄4年(1531)に松平清康(家康の祖父)が現在の位置に移して以来、ここが岡崎城と称されるようになりました。
天文11年(1542)12月26日、徳川家康は、ここ岡崎城内で誕生しました。家康は、6歳で織田信秀(信長の父)、8歳で今川義元の人質となり、少年期を他国で過ごしましたが、永禄3年(1560)の桶狭間の合戦で、今川義元が戦死したことを契機に自立しました。ときに19歳。以来、岡崎城を拠点に天下統一という偉業への基礎を固めました。

 元亀元年(1570)、家康は本拠を遠江浜松(静岡県浜松市)に移し、嫡男信康を岡崎城主としました。天正7年(1579)に信康が自刃したあとは、重臣の石川数正、ついで本多重次を城代としました。天正18年(1590)に家康が秀吉によって関東に移されると、秀吉の家臣田中吉政が城主となりますが、家康が江戸に幕府を開いてからは、譜代大名にここを守らせました。
江戸時代、岡崎城は「神君出生の城」として神聖視され、本多氏(康重系統)、水野氏、松平(松井)氏、本多氏(忠勝系統)と、家格の高い譜代大名が城主となりました。石高こそ5万石前後と少なかったですが、大名は岡崎城主となることを誇りとしたと伝えられます。西郷氏が築いた当初の岡崎城は、砦のようなもので、城域も本丸程度であっただろうと考えられますが、家康の頃までには近世の城郭としての原型ができあがりました。田中吉政は、大規模な城郭の整備拡張を行い、文禄元年(1592)に、城の東・北・西に総延長4.7キロに及ぶ総堀をつくりました。また、元和3年(1617)本多康紀のときは、三層三階地下一階で、東に井戸櫓、南に附櫓をもつ複合天守閣が建てられました。

 

 

こちらも満開だったが、天守閣下の桜の本数は少なかった。

庭園内の桜は満開

 

 

     IMG_2766_1.JPG

 少し散り初めの桜


以外に大きい岡崎城。

5階建てで、展示物も充実していた。

 

 

 天守南側からの庭園 名鉄電車2200系が走っていた

 

午後からやや雲が多くなり、曇りの天気になって来た

早々に見学を済ませ、スタンプをゲットして撮影を・・・

 

 

     IMG_2772_1.JPG

岡崎城天守閣と桜

 

城内の桜の樹
                






岡崎城パンフレットと入場券








岡崎城跡 石垣巡り パンフレット

バスに戻って、今夜の宿、浜名湖ロイヤルホテルを目指す。

明日は、残りの掛川城、駿府城、名古屋城へ行く予定だが、

天気予報では、午後から雨模様になるとか・・・

 

1時間半遅れでホテル到着後、すぐに夕食をとって、

就寝前に露天風呂に入って疲れを癒す。

 

さて、明日はどんな桜が待っているのかな・・・^^


岡崎城スタンプ
第45番 岡崎城 登城完了

 

  アクセス

  電車:​名鉄名古屋本線・岡崎公園前駅から徒歩約15分
     ​名鉄名古屋本線・東岡崎駅​から​名鉄バス「大樹寺行き」​で​「康生町」下車、徒歩5分
     ​愛知環状鉄道・中岡崎駅から徒歩15分
  車: ​東名高速道路・岡崎ICから約15分
  駐車場:​有料駐車場あり​  

スタンプ設置場所
  ​天守1階受付窓口
*スタンプ設置場所に付きましては、変更になっている場合があります。
  詳細はコチラでご確認下さい。
   ​日本城郭協会スタンプ設置場所 変更一覧
  
攻略度
  平山城 レベル1

見学所要時間
  1時間~2時間

岡崎公園 WEBサイト





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Last updated  Aug 14, 2023 09:18:21 AM
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