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何年か前、私が子育てに仕事に忙しく、少し自分を失いかけた頃に、何年かぶりで友人と再会した。
私が旦那に出会った時、私の将来の旦那になる私の大好きな男の一番の親友だった彼は、その頃は唯そこの空間に存在しているだけで女も男も自然に寄ってくる様な見た目も好くて人好きのするイイ男だった。 彼は今は別の大陸で日本人の奥さんと子供達と生活している。 久々に会う彼は少し年を取って、湧き出していたフェロモンが若干抜けて(笑)、良い感じに年を取っていた。 そんな彼がちょっと荒れ気味だったその時の私にこんな事を言っていた。 「年を取るとそれ相応に行動は変わるけど、自分自身は変わらないものなんだよ。」 その時は彼の言葉の真意を汲み取れなかった私。 でもね、最近その言葉を言った彼の気持ちがわかるの。 何を彼が言おうとしていたのかも。 何年かかかって、私もあの時の彼の気持ちがわかるところに着た様な気がする。 生きていれば誰しも色んな出来事がある。 予想の出来る事も出来ない事も起こる。 全てを楽しめればいいが、辛い事も間々ある。 辛い事が起こってそれを乗り越えた時に、新しい自分に出会った様な爽快感がある事もある。 でも、しばらく時が経つとやはり自分が未だに自分でしかないことに気が付く。 年がいくつかという事ではなく、若さに任せた勢いだけでは限界を感じ、そこで何か感じて考えた時に、人間もそれなりに分別もつくようになり、その人なりに時間や場所を考える事が出来る、社会性のある生き物にもなっていくのだろう。 でも、いくつか人生の波にのまれて、それを溺れかけたり乗り切ったりして暫らく経った時に、ふっと一息つく事がある。 そんな時に気付くのは「私は未だに私だな」という事。 成長した筈なのに、未だに変わっていない私の中にある一部。 これが本当の自分なのかもしれない、とふと人生の中で立ち止まった瞬間に思う時間。 それを何度も繰り返している内に、好きだったり嫌いだったりする「変わらない自分」を認める瞬間がくる。 何度も会う内に好き嫌いを超えて「この人生でずっと付き合って行かなくてはいけないであろう自分」を発見する。 嫌いだからといって切り離せない自分を。 そして、そんな自分が嫌いではなくなっている、ちょっとだけ成長して、自分とやっと付き合える位に成長した自分を。 やっと彼の言っていた言葉の真意が少しだけわかる様な実感を覚えた最近の私。 きっとこのまま自分と向き合って生きていけるスタート地点に立ったのかな、等と考える秋の夜。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Apr 10, 2012 08:22:33 AM
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