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キムコ☆のJ・URBAN COURT LIFE

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2011年03月29日
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カテゴリ:カテゴリ未分類
2時間並んでもお水も手に入らないっていうのはけっこう衝撃でした
今まで映像でしか見たことのない水を求める列に自分がいても
まだなんかピンとこないところもありましたが…

その後、自宅に戻ったところ
近所の方が町内会の集まりの話を教えてくれたのですが
電気もガスも水道も復旧の目処が立っていない
近所でガス漏れ、水道管の破裂があるからだいぶ時間がかかるだろうということでした
そして、避難所となっている小学校は
自宅に住めない状況になっている人以外は来ないでくれ
というか解放しないので自宅に戻れということでした
それだけキムコ☆の住む地域は被害が少ないのかもしれないけど
一人暮らしの老人が多い地区なのにひどい対応だと憤慨してしまいました

その後、電力のお仕事をしている友人が
電気の復旧は2~3日と連絡をくれました

自宅では、とりあえず明るいうちに食べ物を作ることにして
玄関前でキャンプセットを広げて炊き出しを始めました
残り少なかったもののホワイトガソリンがあったので
コンロを出してきて
家の冷蔵庫にあったものをとにかく何でも入れて
野菜スープを作りました

そんなことをしていると向かいのお宅の奥さんが
ストーブで炊いたというお鍋いっぱいのお米を持ってきてくれました
自分たちは息子の家に行くから食べてと言って
温かいご飯をキムコ達におすそ分けしてくれたのです
すごくありがたかったです
普段すごく親密な付き合いをしているわけではないのに
人の優しさに感謝させられました
そして、わりと近所に住む旦那との共通の先輩が様子を見に来てくれました
先輩のマンションは壁が剥がれ落ちて
自分の高級車!も被害を受けた上にもう住めないと管理人に言われたとのこと
他の階では火災も起こったということでした
せっかくなので今日はうちで一緒にご飯を食べようと
夜にもう一度来てもらうことにしました

家を片付けたり料理をしている間も
息子はいつもとは考えられないくらいいい子にしてくれていて
旦那におんぶされたらすぐに寝てしまいました
子供なりに緊張して疲れていたのでしょう
でも、余震がくると「ぐらぐらこわいぃぃぃ」と大泣きしていましたが。。。

先輩がまた家に来て
やっぱり宴会がはじまりました(笑)
いつ余震が来ても逃げられるように玄関での食事
でも、キャンプみたいな感じであまり緊張感ないなぁと思いながらの食事でしたが
先輩も来てくれて、息子もいつも通りの調子でいてくれて
すごく和んだ時間を過ごすことが出来ました
その時にも話になったのですが
この日が全然電話がつながらなくなってました
ずっと圏外なんです
昨日は割とつながったのに今日は全くダメでした

水が手に入らないのでなるべく使わないように
食器にラップを張って
洗い物をしなくていいようにしたり
前に何かの地震特番で見た情報がけっこう役に立ちました
しかし、水一つ手に入れるだけであの列・・・先が思いやられました
というか、これからの生活どうなるのか想像もつきませんでした

解散してから、とにかくもう暗いし寒いし
余震がだいぶ減ったのでベッドで寝ることにしました
でも、洋服を着たままで靴をベッドサイドに準備して。。。
車の中よりは眠れた感じはしましたが
余震のたびに目が覚めて神経が過敏になってしまっている感じでした



震災3日目の朝、明るくなってきたときにようやくメールが入ってきた
25件の受信メールでした
そのうちの10件位が義理の姉からのもので
「山形は停電回復したから避難しておいで」
というものでした

家を建てるときに、ガスは震災があったら2~3週間使えなくなるっていうのは
聞いていたので
この先すぐに水が出たとしてもガスが使えないとキツイなと思い
義姉のお言葉に甘えることにしました
また、福島原発の話も出てきて
放射線被害から少しでも離れたほうがいいのではないかと
旦那とも相談してキムコ☆と息子は仙台を離れる決心をしました
山形では何日かお世話になって日本海側を経由して実家に帰ろうとも考えながら。。。

数日分の衣類や何かをまとめて外に出てみると
隣のお医者さんに大丈夫かと声をかけられました
そして、山形に避難すると伝えました
そうすると、うちの娘の友人を山形まで送って欲しいと頼まれました
その友人の女の子は、地震当日に秋田から仙台に飲みに来て被災したということでした
山形まではお父様が迎えに来るということだったので
一緒に行くことになりました

車での道中、女の子が医学部の学生さんであることを教えてもらい
学校で習ったという放射線の影響の話を聞いていました
漠然と放射線はヤバいという知識はあっても
何がどうヤバいのかはわからないキムコ☆に
色々教えてくれたのですが勉強していると余計に怖いのでしょうね
「少しでも早く福島から離れたところに行ったほうがいい」
と一生懸命訴えていました

いつもは1時間位で着く山形への道のりですが
山形へ避難したり食料やガソリンを求めて行く車で大渋滞で
3時間以上かかってしまいました
無事に女の子とご家族が合流してから
とにかくキムコ達もガソリンを入れに向かいました

仙台はスタンドはほとんどやっていなくて
緊急車両のみの給油というのばかりだったけど
山形はすごい列は出来ているものの
ガソリンは入れられるようでした
高速は閉鎖されているので
高速前のスタンドなら空いているんじゃないかと行ってみると
もう売り切れだと言われてしまいました

でも、きっとどこに行っても並ぶか同じことを言われると思い
「仙台から来たんです!もう、ここで入れられないと本当に困ってしまうんです」
と涙ながらに訴えると、特別ですよ。。。なんて並ばせてくれました
ごり押し成功!!!
とりあえず20Lしか入れられないけどだいぶ助かりました

それから兄の家に行って、3日ぶりにお風呂に入れました
今考えればたったの3日間
それだけでもお風呂に入れない
トイレのお水も流せない
手も顔も洗えない
水のない生活の不便さ、水のありがたみを痛感しました

続く。。。





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最終更新日  2011年03月29日 16時08分05秒
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