カープの歴史、赤ヘル黄金時代まで
今日はカープの歴史でも書いてみまつ。 1949年12月にセントラルリーグ加盟。球団名は、広島カープ。本拠地は広島総合球場となった。(総合球場は西飛行場の近くにあります) 1951年大洋ホエールズ(今の横浜ベイスターズ)と合併されそうになるが、市民の力で食い止める。 1952年も解散の危機になるが、たる募金でしのぐ。 1957年、本拠地を広島市民球場に移す。 1965年、東洋工業(今のマツダ)が親会社になる。この年根本監督のもと球団初のAクラスになる。 1975年、ルーツ監督就任。チームカラーを赤に変える。後を継いだ古葉竹織監督で、カープが球団設立25年で優勝ーーーーーーー!! その後も黄金時代が続くが、1991年を最後に優勝から遠ざかる。 特に、1996年巨人に11.5ゲーム差をひっくり返された「メークドラマ」は覚えてる人も多いでしょう。 そして、ピーコ(2期目の山本浩二監督、黄色いサングラスをかけているので、こう呼ばれた。)の暗黒時代を経て、現在2006年にいたる。 以上です。