Chapter 3-7
外国人バイヤーの仲間割れによる取引の失敗という不測の事態を受けて、警察からも追われる身となった片岡の行方は杳としてしれなかった。
透は、赤井なら、地の果てまで片岡を追いかけるだろうと考えた。
『やはり狙うは赤井だ―。やるか、やられるか...!』
透は赤井の出所に合わせて、赤井興産の本社に行くと、面会を申し込んだ。
予想に反して、赤井は透の面会をあっさり受け容れた。
『あの男は、なんと言うだろう...』
かつて幾度となく開けては閉じた社長室の扉の前に、透は立った。
生唾を飲み込み、覚悟を決めたかのように深く息を吸い込むと、ドアノブに手をかけ、力強く扉を押し開けた。
赤井が、正面に待っていた。
部屋の中ほどで革張りのサロンチェアに腰掛けて、両膝の間にステッキを立て、上に手を重ねた格好で透を見据え、出迎えた。
―「小僧、久しぶりだな。」
出所したばかりということなどみじんも感じさせないスーツ姿で、ゆっくりと立ち上がると、窓際のデスクのところまで歩み、葉巻を取った。
ステッキを突いてはいるものの、獄中での生活は、却って赤井の身体を強靭にし、精悍な顔つきに変えたよう思われた。
「お前、るり子と一緒になったそうだな。」
「でも、別れました。」
「そうか、もう、別れたか―。」
赤井は、カラカラと、大きな声で笑うと、葉巻を口にした。
『赤井のペースに巻き込まれてはいけない』、と、透が交渉の口火を切ろうとしたとき、くゆらされた煙の間から、赤井の鋭い眼光が透に向けられた。
「ところで、お前の用というのは、あの駅前の第一興業不二銀行の貸し金庫のことか―?」
透は息をのんだ。
戦慄が、全身を駆け抜けた。
『ど、どうしてそれを...?!』
「どうやってお前に連絡をとろうかと思っていたら、お前の方から出向いて来てくれるとは...。
長い間ご苦労だったな―。」
「はっはっはぁ...、驚きの余り、声もでないか...?!」
赤井は、嘲るように、肩をゆすって笑った。
透が目を見開いたまま、声も出せずにいるのを見て取ると、赤井は満足そうに言葉を続けた。
「最近は、個人情報保護法がどうしただの、守秘義務がどうとか煩いらしいが、銀行の支店長など、嵌めて締め上げれば簡単なもの。
だが、さすがに、銀行強盗や窃盗までするわけにはなかなかいかなくてな―。」
そう言うと赤井は再び大笑いした。
「銀行の貸し金庫という安全なところに保管してもらっているなら、慌てて取り出す必要もなかろうと、考えを改めることにしたんだ。
おかげで、検察にバレずに済んだ。」
足元がぐらぐらと揺れる。
肩で大きく息をしながら、透はやっとの思いで立っていた。
「知って、いつから知って...?!」
うわずった渇いた声で、辛うじて透の口から絞り出されたのは赤井への質問だった。
「お前があの計理部長をたらしこんだことまで―、わしは知っていたさ。」
赤井の言葉が透を震撼させた。
脳裏に、るり子の言葉が甦る。
―「気をつけて。
あの人にとって他人は利用するために存在するようなもの。
あの男が情けをかけたり、親切心だけで動いたりなんかするものですか。」
切り札を出そうとして気負いこんだ透の足を掬うどころか、赤井の言葉は、次々と苛烈な衝撃となって、畳み掛けるように透を襲った。
『あの時から、もう既に、オレは赤井の監視下にいたという訳か―』
赤井に拾われて以来、秘書として甲斐甲斐しく勤め、赤井興産の中枢奥深くに身を潜めていたつもりでいた自分が、なんとも滑稽に思えてきた。
驚かすつもりが、逆に驚かされる―。
透は、ただ呆然と、その場に立ち竦むしかなかった。
混乱した頭に、透はなんとか冷静さを取り戻そうと努めた。
呼吸を整え、それまでの経緯は捨て去り、腹を括って居直ることにした。
どうにかこうにか平静さを取り繕うと、動揺を隠すかのように威高な態度で切り出した。
「そ、そこまで、解っているなら、話が早い。
いくら出す―。」
赤井に圧倒されまいと、眦を決して、相対した。
赤井は透の方をちらとみると、葉巻を吸い込んだ。
「そうさな、1000万か。」
「1000万?
ばかにするのもいい加減にしてくれ!」
あまりの金額の低さに、透はすかさず噛み付いた。
「片岡か...、誰か他の金を出してくれるヤツに売ってもいいんだぜ!」
「片岡...?
はぁーはっはっはっは...!
ヤツもよく働いてくれたが、今頃は...。」
ひくっと、赤井の口角の片方が上がった。
「や、やったのか...?」
「ヤツには2億円の保険をかけていてな。」
透の背筋を、冷たいものが走った。
その表情を見て、赤井は歯を見せて不敵に笑った。
「冗談だ、小僧。
一昨日の夜から連絡がとれなくなっているらしい。警察にまで追われる身になってはな。
ま、いずれ捜し出してやるさ。」
『やはり、この男は怪物なのか...』
透は赤井に、底知れぬ恐怖を覚えずにはいられなかった。
『消されずにいるには、条件を飲むしかないのか...?』
「では、2000万でどうだ、これ以上は上げられん―。」
「どうだ、小僧?!」
赤井はステッキを振り上げると、透の顎の下に突き付けた。
醜悪な顔を更に歪ませ、じりじりと迫り寄って来る。
「手の打ちどころを誤ると、やっかいなことになるぞ。」
赤井はステッキの切っ先を、くいっと透の喉に押し付けた。
「オ、オレはもう、あんたの運転手じゃない...!」
そう言って、ステッキを振り払おうとした透を、赤井は背後から打ち据えた。
思わず膝を折り、床に手を付いた透の背中に、更に二、三度、振り下ろす。
「...くっ...!」
奥歯を噛み締め、頭を上げようとした透の項を、ステッキの柄が押さえ付けた。
ステッキで押さえ込んだまま、身体を少し屈めると、赤井は地の底から響くような声で耳打ちした。
「2000万だ―、それ以上は出せん。」
赤井は以前の主人と使用人の関係そのままに、透に要求の呑ませようとした。
「くっ、くそっ...!この野郎...!!」
透は片手でステッキを振り払うと、赤井をかわして、組み敷こうとした。
が、
透がステッキを払うが早いか、赤井は懐から拳銃を取り出すと仰向けの体勢で、自分を押さえ込んだ透の喉元に突きつけた。
続く