Chapter 3-8
「透、物騒なことは考えるな。隣の小部屋がなんのためにあるのか知ってるだろう。
ちゃんとこちらの様子を伺って、いつでも出て来られる態勢で待機している。」
ドアの向こうに誰が居るかは、透にも判っていた。
「修二は胸をやられたらしいが、お前はどっちがいい―?
胸か、頭か―。」
「兄貴をやったのも、お前の差し金だったのか―?!」
赤井の言葉が、透を更なる奈落の淵に陥れた。
「修二には昔から手を焼かされてな。
頭は切れるし、腕っ節は強いし。」
赤井は透に銃口を突きつけたまま、じりじりと躪るようにして上体を起こしていった。
「わしは、全治三ヶ月程度の痛みを味わってもらう程度でいいと言ったんだが、スナイパーの奴がな...。
顔はいいし、目だってたから、妬まれたんだな。」
『片岡が集めた男たちは、赤井の息のかかった連中だったのか―!』
透は今更ながらに、赤井という怪物の底知れない怖ろしさに、慄然とするしかなかった。
「ひ、一つきいていいか?」
向かい合うようにして喉元に銃口を突きつけられたまま、透は赤井を見た。
「オレが、鍵の行方をとうとう喋らずに消されたなら、次はるり子も狙うのか?」
「るり子―?
別れたと言ったばかりじゃなかったのか。
なんだ、まだ未練でもあるのか。」
「るり子は何も知らない。
この件については何も関係ない。
だからるり子には...。」
「分った、約束しよう。あいつには手は出さん。」
「2000万で...、手を打つ。」
透は腹を固めた。
「鍵は印鑑と一緒に、ある場所に隠して保管してある。
勿論、現金と引き換えだ。
取引の方法は―」
* * * * * * * * * * * * * *
―『逃げるしかない』
『幸い例のものは、オレの手にある
決してみつかりっこないところに―
それがどこなのか判らないうちは命の保証だけはされてると思っていい―』
透は逃亡を決め込んだ。
ジャケットを羽織ると、
るり子との思い出の詰まるテラスハウスを後にして、修二の車に乗り込んだ。
「どこへ逃げる―?」
エンジンをかけようとして、ルームミラーに付けられたストラップのような飾りが目に付いた。
透は手を伸ばすと、それを外してシャツの胸ポケットに仕舞いこんだ。
透は車を走らせた。
海沿いの道をひたすら逃げた。
気が付けば、赤井の別荘の方向に向かっている。
『オレは、どこに行こうというんだ
どうするつもりなんだ
出直して、はした金を手に入れて高飛び...?
片岡を地獄に落とす...?』
河口近くの扇状にひろがる町の上をまたぐように架けられた、緩い坂道の続くバイパス橋を登り始めると、フロントガラスの向こうに、青い海が広がった。
ふいに透の胸に、るり子がストラップを付けたときのことが甦った。
―あなたの幸運のお守りになりますように。
橋の中ほどにさしかかった時、透はいきなりブレーキを踏んで、車を路上に停止させた。
暫くの間、躊躇っていたが、決心すると、ポケットからバタフライナイフを取り出した。
「兄貴、ごめん...!」
運転席のシートを引き裂くと、更に、中のウレタンを切り分けるようにナイフを突き刺し、底を探るように片手を突っ込んだ。
『こいつのために...』
引き出された透の手には、鍵と印章入れが握られていた。
透は無造作に座席の上に転がすと、警察に電話を入れた。
「路上に車が放置されている。」
『決めた』
ドアを閉めると、透は駆け出した。
『オレはもう逃げない』
上着を脱ぐと、手に持ち替えて、今来た道を引き返した。
ポケットの中で、ストラップが躍る。
「るり子...!」
青空の下、潮風を一杯に受けながら、全力で走った。
終わり