|
カテゴリ:自慢もの
我が家のキッチンの壁には丸いかたちの代物がかかっている。我が家に始めて来た方はエッと気づいて下さるので、”これねえ~”とつい自慢する。
私達がまだ日本で暮らしていた頃のこと。 スーザンとリチャードはオーストラリア出身のカップルで英語を教えながら日本で暮らす生活費を稼いでいた。スーザンは本来アーチスト。リチャードは雑誌に旅行記などを書いてたと思う。彼らは日本の田舎の街に空きやを見つけて住んでいた。その家の持ち主と家賃を交渉して格安だったに違いない。街の中心地から離れてはいたが、よくこんなところに空きやがあったものだと感心する。また、それを見つけた彼らの目の付けどころが凄い。もちろんそんな家だからボロいわけで、それでも畳の部屋が3つあって、お風呂もガスで炊けていたわけで、上等だ。ボロの素晴らしさは彼らが結構自由に出来るところで、スーザンは持ち前のアーチストのスキルをいかして台所の壁にリアルな花の絵を描きまくっていた。 私たちは彼らから学んだことがいくつかあって、そのひとつは、 日本の粗大ゴミは宝もの。 彼らの家にある電化製品、家具は全て粗大ゴミでまかなわれていた。冷蔵庫、洗濯機、掃除機、扇風機、ストーブ(これは石油ストーブ)、タンス、テーブル、椅子、etc.. 私たちも、もちろんそれに見習ってなにもなかったアパートに昭和初めの頃とおもわれる棚がやって来たり、なんと旦那君は4つバーナーが付いたオーブンも見つける!!彼がそれを見つけた時は、私はアメリカにいたので、どうやってそれを運んだのか謎のままだが、壊れてたかもしれないそれをよくぞ運んだものだと感心する。それで、バナナブレッドをよく焼いたものだ。 ある日彼は昔の大工さんの道具箱を粗大ゴミで見つけた。アパートに帰って来てなかを偵察する私達に近所の方が気がついて、それは骨董品だと教えてくれる。確かに箱自体から古い感じであることが充分わかったし、なかには墨を使って線を引く道具もあった。その近所の方も興味津々であったので、少しおすそわけをした。私たちはその線引きをこちらに来る時持ってきたのだが、あとのものはどうなったか覚えていない。 彼らから学んだもうひとつのことは、 服はその住む土地で買う。ゆえに、なるべく衣服を持って移動しない。 スーザンは日本の古い着物をうまく紐で結び上げてジャケットのように着こなしていた、そういえば。ただ、これを日本の人がやってしまうと世間の目は白いでしょう。 あの頃は今から思うと時間が在り過ぎるぐらいあった。日曜の夕方は近くのゴスペルをがんがんかけてくれる喫茶店に行って、友人たちとわいわいやっていたのだなあ。 直径80cmぐらいのもの。 スーザンさんが明治の頃のちゃぶ台にペイントしたもので、おまけしてくれたけど、高かった~。足が折れるので、絵のように壁にかけてる。裏には私達の名前とスーザンの名前が入れてある。家宝かな。(笑) 真ん中の猫は当時彼らが飼っていたねこ。びわ。 アメリカのゴミも結構いいものが出てる。昔の癖で拾いたくなる衝動を押さえるが、車をUターンして再チェックすることもある。旦那君はある日ボーリングのボールを拾ってきてた。何に使うんだか。(笑) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|