「学会に行く旅費ない・国立大などの教職員組合が窮状訴え」
う~ん、弱い大学の切り捨ては「研究のすそ野が失われる」
ことにつながると言ってるらしいけど、そもそも「研究の
すそ野」ってどこまで広げる必要があるんだろう。
大学への出願者は全員入学できるという大学の数(ポストの
数)を維持してまで「研究すそ野」を維持することは、
どこまで社会的に必要とされていることなんだろう?
(「大卒」という人材のすそ野についてもしかり。)
今の日本はどこまでの「すそ野」を維持するだけの経済的
余裕があるんだろう?
そういえば誰かが(国の借金が増え、子供の数が減っている
ので)「大学というものを一業種として考えれば間違いなく
『斜陽産業』ですよ」と言ってたな。
例えばその「すそ野」で経営学の研究をしている方に
経営学的観点から見てどう思われます?と訊いてみたい
気もする(汗)。