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テーマ:国内旅行について(2546)
カテゴリ:日本滞在記
またしてもというか、今さらながらというか、また一つ
「バブルの塔」がその歴史を終えるようだ。 「宮崎市の『オーシャンドーム』、9月末で閉鎖」 この話、下の話と矛盾するようだけど、ビジネス的に ソロバンをはじくとオーシャンドームは閉鎖したほうが いいってことなんだろうな。 「そのまんま効果でシーガイアが初黒字」 * 話はかわって、そういえば日本滞在記を中途半端なまんま ほっぽってたな(笑)。こないだ日本から帰ってきてから 早3ヶ月か・・・。時が経つのは早いもんだ。 しかし、なんのかんのいいつつ今回の日本滞在はそれなりに 長かったんじゃないかと思わされるのは、それなりに日本で あちこち出掛けてるってことかな。すでにブログにアップ した九州旅行もしかり。 でも、なんのかんのいいつつ東京で断続出来に用事が入るから のんびりゆっくりってかんじは最期まで無かったけれど それも贅沢ってもんか。 ってなわけで、松本にも行ってきました。 これは言わずとしれた松本城。相変わらず桜が満開でした。 知り合いに教えてもらった「蕎麦倶楽部佐々木」という そば屋さんに行ってみる。いや、マジでうまいっすよ。 「本当にちゃんとした」そば屋さんのご多分にもれず、 大盛りを注文したにもかかわらず、ちょっとボリュームが 足りなかったけれど、いやいや、こういうのが日本だなぁ と思う瞬間やね。こういうのだけはアメリカでは「絶対に」 食えないもんなぁ。 ただ「そば」というだけでよければアメリカでも今はもう 乾麺ならどこでも手に入るし、生麺だって金にものを いわせれば取り寄せられるけど、いや、本当のそば屋の 美味しいそばってのはやっぱり日本に帰らないと食べられ ないねってかんじで。 ちなみにこちらのブログにもこのそば屋さんのネタが出て きていたので、ちょっとトラックバックさせて頂きました。 詳しい場所なんかも(コメントの中に)出てきてます。 * 松本からの帰りは「上回り」、つまり中央道経由ではなく、 上田、小諸、軽井沢と国道18号線経由。というのも 釜飯の「おぎのや」には絶対に寄っておきたかったし。 (ちなみに国道18号線などの今の映像はここから チェックできたり。というわけで、時たまチェックしてる 場所を実際に通ってもみたかったし。) 軽井沢はあいにくの雨(さらに雪まじり)。今頃はピーク シーズンでこの軽井沢銀座も人でごったがえしてるんだ ろうけど、この時は閑散としていた。 そういえばこの軽井沢、団塊の世代が退職後に移住したい 場所の上位に位置していて、最近は「団塊ホイホイ」など と呼ばれることもあるらしい。 軽井沢からは横川まで旧碓氷峠を一気に下る。 途中、見所の一つ、旧信越線のめがね橋に寄ってみる わけだけど、上まで上れたり、上を歩けるようになって たりと観光用に綺麗に整備されてしまっていて、むしろ ちょっとがっかり。 自分のこの旧碓氷峠のめがね橋の「出会い」は「軽井沢 シンドローム」というマンガ。このマンガの冒頭部分に このめがね橋が出てくる。それ以外でも軽井沢に からんだドラマやマンガには良く出てくるけどね。 この軽井沢シンドロームのストーリー背景はこのページ の冒頭でうまくまとめられている。 「知識を詰め込むだけの学校も、要領のよさだけが磨かれる会社勤めも 放り出し、ひとりアメリカの西海岸へと渡ってフリーのカメラマン として成功する、という将来がまだ遠い憧れとして感じられた時代」 連載開始は1981年で、このノリを実行できた、した 人はあまりいないかもしれないけれど、これを理想として 80年代に青春を過ごした人は多いんじゃないかな。 さすがに自分の世代からはちょっとズレてるんだけど、 それでも確実にこのノリを「引きずって」いたような 気がする。(上の世代の人と付き合う機会もけっこう あって、それにも影響されたのかも。) そんな頃をうつらうつらと思い出しながら考えてみると 当時の日本はまだ「発展」をしていたような気がする。 土建国家の悪の象徴と言われたりもするけれど、 たとえば定期的に大規模インフラの完成があった。 あまりにも目的地に早く着いてしまうので、個人的には あまり歓迎しないんだけど(だから未だに高速道路は ほとんど利用せず、たとえば信州へ行くにも上信越道を 利用することはほとんどなく、碓井バイパスですら利用 することはまれで、ほとんどいつも旧碓氷峠を経由する) 高速道路がそれも長距離区間でバンバン開通したり。 ところで最近日本に帰っても、あまり前回より発展した という印象は受けない。もちろん目に見えない情報イン フラなどはものすごい勢いで発展してるんだろうけど、 いかんせん「ビジュアル的」なインパクトに欠ける。 せいぜい、対面2車線だった道路が4車線になってたり、 ちょこっとしたバイパスが開通してたりと、あくまでも 印象的には「改良」に止まっているかんじ。 なので当時のような「ワクワク感」がないような気が するんだけど、それはもう世代的ギャップなんだろうか。 と、すっかり話が脇に逸れてしまった(爆)。 * さて旧碓氷峠を下り終わる頃にはもうすっかり日も暮れる中 定番ともいってもいいおぎのやに寄る。 今でこそ信越線、横川~軽井沢の廃止と上信越道の開通に よって、横川駅や国道18号線は主要交通ルートから外れて しまっておぎのやは色々な所に店舗を構えているけど(構え ざるをえなくなった)昔はおぎのやと言えばここだった。 昔はこれから碓氷峠に挑む長距離トラックの運ちゃんや、 朝着スキー客向けに24時間営業だったんだけど、今は 8時には閉店・・・これはかなりショック。まさに時代は 移りゆくといったかんじかな。まあここに限らず日本各地の 主要国道沿いには、今となっては「遺構」となってしまった ドライブインのもの悲しい姿が散見されるわけだけど。 自分の場合、子供の頃に始まって、自力でスキーに行くよう になってからも、ここに深夜2~3時頃に停まって腹ごし らえをしてから碓氷峠に挑むというのが定番だったような 気がする。(当然、碓氷峠を一気に登って軽井沢側に抜けた とたんに一面の銀世界というパターン。) 子供の頃は当然親に連れられてスキーに行ってたわけだけど なぜわざわざ一般国道を?と思ってちょっと調べてみると、 高速料金は他の物価と比較してあまり値上がりしてない部類 らしく、とういことは今ですらけっこう高い高速料金は 当時は「もっと割高」だったわけで、だったら一般国道で ということだったのかな、とも思う。 まあそんなケチくさい話はさておき、やはり高速道路などで スパッと現地に着いてしまうのはあまりにも情緒がない。 ということもあって、日本にいた当時から今に至っても、 自分はあくまでも「下道派」。特にアメリカなんかと比べて 日本は(たとえば街道の)歴史の厚みが比べものにならない から、ちょこちょこ寄り道するのもかなり楽しいんだよね。 それと比べればアメリカのルート66なんて「屁」のように 思うんだけど。 さて、おぎのやの店内はあいかわらず60sの香りたっぷり で、客の少なさもあいまって、店員もけだるさもなかなか いいかんじ。実際写真の通り店内はがらがら。これは前回も 書いたけど、ここが交通のメインルートから外れたからって のもあるんだけど、やはり寂しいのは寂しい。 定番の釜飯。味はかわってなかったな。物産展などで、 この手の有名駅弁は東京にいながらにして食べられるように なったけど、この隠れ定番のナメコ汁とおぎのや湯飲みは やはりここに来なければ楽しめない。このナメコ汁に いくつナメコが入っているかというのはいつも楽しみ(爆)。 これはおぎのやから道をはさんで反対側にある食堂。 驚いたことに電気がついていて営業中? おぎのやの隣、 軽井沢にあったニセおぎのやもつぶれたというのに、 健在ってのはすごいな。次回このあたりを通りかかった 時には是非とも試さねば。 さて、次にこのあたりに来るのはいつのことやら。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Dec 25, 2007 11:15:44 AM
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