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テーマ:英語のお勉強日記(8005)
カテゴリ:日本で英語って必要?
「小学校の英語授業:否定的な中学生多数…教研集会で報告」
「『やればやるほど英語嫌い』 小学校英語活動に異論続々」 正直何をやっているのか、と思う。もちろん動き始めたばかりだから教える側もまだぎこちないということもあるかと思う。しかし、中学、高校での英語教授は長い間行われてきたわけで、十分ノウハウを蓄積してくる時間があったにもかかわらず、相変わらず「英語嫌い」は多い。 恐らく民間の児童英会話教室では子供に興味を持ってもらえるよう様々な工夫をこらした授業をしているんだと思う。かたや、小学校であれば、まずは教師は英語専門の教師でもなく、必ずしも本人が英語が好き、もしくは得意というわけでもなく、さらに教員免許の規制の壁が邪魔をして、よっぽどノウハウを持っている民間の児童英会話教室で教えている先生の入り込む余地はない。さらに、子供によってやはり好き嫌いはあるわけで、それでも嫌いな生徒も含めてなぜ「全員に」なのかと思う。 そもそも日本人がアメリカで子育てをしようとする時に直面するのはどうやって日本語を覚えさせるか、だ。たとえ親が家庭で100%日本語で話していようとも、多少なりとも強制をしなければ子供は日本語が身につかない。当然親が言っていることくらいは理解できるようになるが、自らはしゃべろうとせず、いつの間にか、しっかり英語は身に付いてしまっている。これは、子供は無意識にこの社会では「日本語は不必要(重要でない)」と判断してしまっているからだという説があるわけだけど、逆に日本で英語を教えるというのはこの逆のケースに他ならない。 普通に日本で生活していれば、子供に説得力をもって「英語の必要性」を理解させることは不可能だ。となると、次の手段としては他の習い事と同様、教える側として「興味をもたせる工夫をする」しかないわけだし、実際恐らく民間の業者もそのあたりを一番工夫しているんだと思う。 ところが、習い事の場合、子供によっては他の子供の大多数が興味を示しているにもかかわらず、依然、興味を示さない子だっているわけだ。その子にむりやりその習い事の内容を身につけさせるというのはもう至難の業だと思うし、無理にやろうとすれば、むしろ嫌悪感を増長させることになりかねない。 それぞれの記事中では、教師側も色々時間を使って工夫しようとしている様子も書かれているが、教師にとっても子供にとってももっと別なことに時間を使うべきでは、とは思ってしまう。 「日本語のすすめ」 記事の内容は以下の二文に集約されているのかもしれない。 「欧州に暮らして感じるのは、人々の言葉への思い入れの強さだ。自らの言語と文化に誇りを持ち、それを海外に発信する国家戦略が徹底している。」 「日本は自国の言葉と文化を冷遇する一方、英語学習にエネルギーを費やし、外国の流行を追う。」 もちろん英語ができることに越したことはないし、将来的にはその必要性も増していくとは思われるが、全員が全員必要となるだろうか。それを達成するには膨大なエネルギーを擁すると思われるが、果たしてそれは費用対効果的にプラスの投資なんだろうか。 自分はヨーロッパに行った経験はないけれど、インターネット上のチャットでヨーロッパ人と話すことはある。インターネットなだけに田舎の人も平等に参加してくるわけだけど、ドイツやフランスであってもやはり田舎の人は英語のチャットにはついて来れないことが多い。が、そもそも本人達の日常生活でも恐らく英語は必要ないのだと思う。日本だって同じことだと思う。 情報格差云々というかもしれないが、別に無理して英語の情報を手に入れなくても生活スタイルによっては全く問題ないように思う。それなのに、なぜ「全員」なのかがちょっと理解しづらい。 そういえば、今回「おくりびと」がアカデミー賞を受賞したが、米国メディアに対してはモッくんはわざわざカンペを読みながら英語で答えていた。ということは、どんな質問にも全く同じように答えていたということだと思うんだけど、むしろ、アドリブがきく日本語で個々の質問により細かく具体的に深く答えたほうが、よっぽど日本文化のプレゼンスを高められたのではないかと思う。なんで無理してでも英語、なんだろうか・・・。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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