秋のドラマ
母が見ているので「熟年離婚」を見ている。今、まさにその年代の母としては身につまされるらしい。いわゆる亭主関白の頑固親父が定年を迎え、さあ、これから第二の人生をというときに、長年連れ添った妻に三行半を突きつけられる。と、まあ最近の社会情勢では珍しくない家庭崩壊を題材を取り上げている。そして、10時は「大奥」パート3なのだが、これは語るに及ばぬ強烈な「お家」世界が舞台で、まあ、なんというか、つくづく日本の「家」を考えさせられるわけで。若い議員のお兄ちゃんが「ニート」なるものを取り上げて話題沸騰中だが、最近、ちょこっと思うのは、「正社員」を希望しない人が増えつつあるかなということ。好きで派遣社員をしている人の多くは、一方で就業の不安定さに不安を感じながらも、時間的、社風的、人間関係的、待遇面的「自由」に魅力を感じている。残業したい人もしたくない人も、朝礼とか、社長の訓示とか、飲み会とか、レクリェーションとか不参加OKで、臭くて嫌な上司とか、怖いお局様とか、意地悪な先輩とか、嫌なら辞めればいいし、休日割増、残業手当、有給だって気兼ねないし。一方の企業は、「2007年問題」ですか、そんな言葉に踊らされて、若くて能力のある人材を求めるのは結構だけど、同時に「お家」的な「愛社精神」を求めているのはちょっとなって感じ。バブルがはじけ、不況が続き、大企業が潰れる。中内さんとか、堤さんとか、高度経済成長期の巨星が堕ち、絶対的な支配力を持った会社、すなわち「家」が消えたのに、若者に「ご恩と奉公」をいまだに説くなんて、70年代風に言うなら「ナンセンス」なんじゃないかな。我々世代はそういう教えの尻尾に引っかかっているから、「24時間戦えますか」っていう言葉にも従ってきた。でもさ、なんだかさ、我々も就職氷河期といわれた時期を通っており、「会社」というものに対する不信感も同時に持っているんだよね。特に中小企業の多くはまだその絶対的権力「会社」神話を頑なに信じ、次世代に要求して煙たがられている。ああ、一緒だよね、渡さん扮するお父さんとさ。わかるよ。頑張ってきたよね。よくやったよね。でも、今ではそれは葵のご紋ではないんだよ。身を粉にして働いてきた企業戦士の子供たちは、恐ろしいくらいひたむきな親の姿を美しいとは露と思わず、「絶対ああはなるまい」と心に誓う。だから、「やりがい」「やりたい仕事」を求めてさまよう。けれど、子供たちはあまりにも戦士たちの庇護のもとにあり、「社会」という戦場を知らなさ過ぎる。たゆまぬ努力により維持されてきた沃野は、何物も生み出さぬ荒野に同じ。標もない荒野にたたずむ子供たちは途方にくれる。一方の戦士たちは力を使い果たし、戻るべき場所を探すがそこに誰もいない。戦うことしか知らぬものはそこには不要で、寄る辺なくよどみに浮き沈む。若年層の無就業者も多いが、中高年の無就業者も多い。彼らは、現在の自分を直視できない点で非常に良く似ている。大人も子供もニートの今の世の中、傍観者を決め込む我々もどこに行くのだろうか。木曜のドラマを見ながらそんなことを考える。考えても仕方ないけど。