避難生活に思う 序
何から綴ればいいのだろうと考えてるうちに時間だけが過ぎてってともすれば、忘却の彼方へ...それでもかまやしないよと多くの方は許してくれるのかもしれないだけど それでは自分が許せない自主避難の言葉に甘えるわけにはいかないのだと腹を括ったつもりでも現実的には多くの方たちのおかげでこうして生きていられるほんの数人ではあるが福島の地でリアルに接した方たちの思いこれは個人の感情がどうのこうのいう次元ではないと私たち親子が満足できることはもちろんの大前提であってだけど それだけでいいとも思えない福島の地を去ることも 福島で生きていくこともそれは個々の問題であって 強制されるべきものではないただ 福島を離れてみて感じたこと一度出てみなくては決してわからなかったこれは事実 私たち家族の事実福島に住む人たちに或いは他の土地に住まう人にそれぞれに知ってほしいことがあるということそのためにこのブログを続けていきたい全てが全てに当てはまるわけではないと承知しながら私たち一家をひとつのモデルケースとして捉えていただければそれに越した事はないのだけどこれより先の日記 時系列は前後しますまずは避難者として参加させていただいた「子育て in 郡山」の記録から始めます