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今日、何かが変わったと思った。うーん、
何かを変えるんだ、と今までよりも強く思った日だったのかな。 インドから帰ってきて、がたがただった。 この日記をつけなくなったころからも、ずっと 気力がなく、だるく、ひたすらもがく毎日で、 インド行くとどうかなるかと思ったけど、 楽しんでいた反面、熱が出たり腹痛 だったり。その上、連れていった子どもたちも ほとんどが病気になってしまうという事態や、 雰囲気を盛り上げて、元気良く振舞えなかった 自分という未熟者に、ずいぶんと自信をなくした。 帰ってきてからは、さらに崩れた。 帰ってきたその日はよかった。友人が来ているという ことで、会って話をして、とても楽しかった。 しかし、次の日から自分の中での自分の存在が 日に日に薄れてゆき、とうとう消えてしまいたいというぐらい に、まるで平たい螺旋階段を上に行っているのか 下に向かっているのかと悩み焦りながら進んでいるような、 無色でピンぼけした生活を送っていた。 今日は何が起きたのか。 いちばん大きいのは、この期間でいちばん自分に対し、 素直になることができた。心を信じられた。悩まなくても いい瞬間がもてた。 漠然とした自分の根源にあるような大きな悩みは なかなか人に気軽に話したり、相談できない。 すればいいんだけど、できない。 自分で考えようとするか、自分を騙し騙し暮らすか、 本や映画などにヒントを求めてしまう。 ここずっとずっと、ほんとにずっと ぶちあたってる悩みは、 自分がどこに向かっているのか分からない、 生きてていいのか? 変わりたいのに変われない。変わろうとしても 続かない、 気力がない、 自分は何にも集中できなく、ぞっこんになれず、 また、何に対しても愛をもって接することができなかったり、 愛があってもそれが外に出てこないのではないか、 生きていてもしかたがないのでは。。。 といったものだった。 そんなもの、とにかくやればいいことであったり、 分からなくてもいいものであったり、ただ、逃げてる だけであったりするはずだ。だから、 その程度のことで、どうしよう。。。と 立ち往生してしまっていたり、 ときには、溺れてしまっていたり、起きることが できなくなっていたりしている自分があまりに 情けなく、ますます落ち込んでた。 ばかだなぁと思う。 今日、流れで、話をした。 誰に話しても無駄だ、と思ってたのに、 そうじゃなかった。話している間、悔しいけど、 涙が止まらなかった。嬉しくも、その流れた分だけ、 すっきりした。 「自分は誰も、何も、家族でさえ、大切なものでさえ、 ”愛する”ことができないのじゃないか。。。 もしそうなら、生きててどうするのだ。。。 人に迷惑をかけるだけ、気を悪くさせるだけ。。。」 そんなふうに思うだけで、勝手に、哀しい感情が 洪水のように襲ってきた。 でも、話すことできてよかった。 おかげで、今日の残りの時間は、ほんとに久しぶりに そのときの自分を好きになれていた。 馬鹿みたいだけど、家族のどんな話を聞いても、 どんなことを言われても、そこに悲しみ、喜び、笑いを 感じ、オーバーでなく、一言一言に涙ぐみそうになり、 やばいやばいとこらえた。 ほんの少し、自分の中に、ほんのりと、優しさ、らしきものが 見えた。ほんの少しでも見れた自分が嬉しかった。 明日起きるときっとそんな自分は消えてしまっている ようでこわい。また、前のような自分に逆戻りしていて、 そんな毎日で時間と力を非効率的に費やすのではないか、と。 相変わらず、誰が自分か見えず、気持ちと言動が分離していて、 どこに向かっているのか、そんな場所や時間は全く 分からないままだろう。 ただ、そうなっても、ちょっとでいいから、分厚い雲の切れ目から ほんの少しだけ見えた月のように感じた、 優しさ それを、どこかにずっと変わらず暖めていたい。 それで死んだとしても、一言、ありがとう、と言って、 きっと幸せになれるように思う。 そんな平穏な気分になれた今日。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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