Pledge of Allegiance
まじで長くなる日記。不眠症の人はこの日記を読んだら治るかもしれないよ。(笑)この時期になると決まって話題になるのが宗教的なこと。クリスマスはキリストの誕生の祝いだけど、ユダヤ教はキリストを崇拝しないのでこの時期はハナカを祝う。わたしは有休を祝う。(笑)ちょっと前にじゃすみん茶さんのところで私が書いたPledge of Allegianceについての情報をいまの時期の話題にかけてちょっと説明しようかとおもいまして。というのも公立学校は宗教関係でも気をつけないといけないんだよなぁ、と思っていたから。ちょっと前にこのプレッジの中の「Under God」という言葉が、カリフォルニアのとある公立学校で問題になり、学校を相手に訴訟がおきたのはしってるかな?二回めの裁判では親側が勝ったんだけど。このことをウル覚えだったので自分の頭のなかでは「学校ではプレッジはしないほうがいい」と覚えていた。このプレッジのなかには「God」という大文字で書かれている神、いわゆるキリスト教の神であるから無信教、イスラム教、仏教、など他の宗教には当てはまらない言葉。(ユダヤ教はGodはOKなんだよね?)だから学校で使うのは問題なんじゃないか、キリスト教以外の親と生徒から苦情がくるんじゃないか、と思ったけれど案外他の公立学校では気にしないでプレッジをやってるところが多いのかも!と感じた。。うちの学校ではわりと宗教関係にかんしては生徒と家族の宗教に気をつけている(と思っている。)プレッジはどの先生も自分のクラスでやってないし、クリスマスプログラムも「ホリデープログラム」という名前に変わっている。クリスマスの時期になると生徒が朝学校にくるときにはクリスマスソングとユダヤ教の曲がながれているし。自分の仕事のなかでもこの時期に使うセラピー教材はキリスト教だけを含むものじゃない教材を使うようにしている。でも無宗教とか仏教とか考えていたらきりがないんだけどねぇ。昨日の日記のレスのなかに書いたけど、サンタは学校側が呼んだのではなくてペアレントグループが呼んだもの。学校主催のホリデーパーティーでは学校側はサンタは用意されていなかったし。(ザンタだったらOKだったかも?笑 言葉を変えればいいてもんじゃないか。。)ようするに、学校側は親がハッピーならそれでいい、って考えだな。。。じゃすみん茶さんところはプレッジはいいけどサンタはだめだとか、学校でもいろいろ違ってるのねぇ。学校はそこのところなにが基準なんだろうね。(笑)ということで、ちょっと歴史の勉強だと思って「プレッジ」の経緯を軽く調べてみた。簡単に言うと、元はフランシス・べラミーというひとがThe Youth's Companionという雑誌に載せた。彼はキリスト教信者で、ソーシャリストでもある。オリジナルは今のプレッジとちょっと違う、I pledge allegiance to my Flag and the Republic for which it stands, one nation, indivisible, with liberty and justice for all. だった。彼は教育委員会みたいな組織の一員で、ある年のコロンバスデーに「公立学校で生徒ができるプログラム」を計画することになった。そのときにこの文章を使い「Pledge of Allegiance」と名づけた。これは南北戦争という背景を考え、二つにわかれたアメリカを一つ!という国にたいする忠誓を誓うものだった。べラミーは「equality」という言葉もこのプレッジにいれたかったけど、当時のこの組織のボスが「女性と黒人にたいする平等の権利に反対派」だったのであきらめたらしい。のちべラミーの反対にもかかわらず、my flag がthe Flag of the United States of Americaに変えられ、そのあと、Knights of Columbusというキリスト教団体から「God」という言葉をいれろという要求からはじまった動きから、「Under God」という言葉がいれられるようになる。2002年、無神教の親がカリフォルニアの学校を相手に訴訟を起こす。娘はプレッジをすることを拒否し、そのことで他の生徒からからかわれたりもろもろの理由がでた。当時は親の親権の問題の理由で学校が勝つことになるけど、2005年、同じ親がまた訴訟をおこし、今回は親が勝つことになる。わたしが覚えていたのはこの2005年の訴訟。このことで自分の頭の中では公立学校はプレッジをやったら訴えられるからやらないほうがいい、と思ったのよね。このプレッジは元は「神」は入っていなかった。そして「女性と黒人の権利の否定」という影響もはいっている。わたしはべラミーのオリジナルのプレッジに「平等」を加えたプレッジに賛成。キリスト教の神がはいっているということは、同じアメリカ人であるにもかかわらず宗教が違うとことで差別が生まれたりする。たった今でも、イスラム教に改教?したアメリカ人がコングレスの一員に選ばれて、宣誓をするさいにコーランを使いたいとといったら激しい非難をあびてる。彼もアメリカ人だよ?? 今、テレビでこの話題やってる。(笑)もし、彼が今死んだらそれはアクシデントじゃないって。おっと話がずれた。当時、上司が女性と黒人の平等の権利に反対だからとプレッジに入らなかった「平等」をいれることによって、それを今は認知?するべきなんじゃないのかなぁ。My Flag とすることで、自分の旗、ようするにアメリカに住んでいるし好きだけど、でもアメリカの国に対する忠誠心は別にない、というような私でも気兼ねなくプレッジできることになる。郷に入ればごうに従えで、アメリカ国への忠誠は誓えないまでもチームワーク(one nation)はがんばるよ!って感じ。なんかいい加減のような意見だけど、でもこの国に住んでいて、でも市民権をもっていないというのはこういう場ではちょっと「いづらい」「やりづらい」という感じがあるのです。ほら、まわりのアメリカ人が国歌を歌っているときに、わたしはアメリカ人じゃないんだけど、っていう違和感。歌詞だっていちいち覚えてない。わたしにとって、このプレッジははっきりいってやりづらいもの。参加はするけど、それはまぁ、やらないと浮いて恥ずかしいからというのもあるし。「その文化に参加して文化比較だ!」と理由をつけてみたり。でも、アメリカ人であるのにプレッジの中の言葉によって違和感を覚える「子供」がいるのであれば、それはそれで酷だと思うんだけどね。それに、カリフォルニアの訴訟だって親がかったとはいえ、そのあとその子供がうける影響ってのもたぶん楽しいものじゃないとおもうし。まぁ、こうやって調べてみるのも面白いね。 ゲッ、すごく長くなってる。。。。三つにわってトリロジーにできるじゃん。