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テーマ:ラテンだよ!全員集合!(251)
カテゴリ:ドミニカ共和国
ドミニカ共和国に日系移住が行われたことを知っている日本人はほとんどいないと思う。そもそも、日本人にとってドミニカ共和国はどこにあるのかすら知られていない縁遠い国なのだと思う。
公私共に日系人とかかわってきた私は2003年にドミニカ共和国に赴任が決まったとき、不思議な縁を感じた。 ドミニカ共和国には1999年に一度行っていて、そのときも偶然知り合った日系人の家族が私の友人の生徒さんの家族で、その縁でとてもお世話になった。ある地方都市に住むそのご家族は移住して成功された方なのだけど、サントドミンゴまで送っていただいた車の中で移住してからの苦労話を伺った。といっても湿っぽい話ではなかったけど、その語り口の明るさとは裏腹にきっとものすごい努力をされたのだろうと、どこまでも続くバナナ林を通り抜けながらそう思った。 ドミニカ共和国への日本人の移住は1956年に始まった。つまり戦後移住で、他のラテンアメリカの国々への移住が100年前後の歴史を持つところが多いことを考えると、来年50年を迎えるドミニカ共和国の日系移住はその約半分の歴史と言える。つまり、そんなに「昔」の話ではない。 そして、この移住政策の失敗は「昔」のことではなく「今」現在も続いている。その経緯に関して私が長々とここに書くより こちらを読んでいただいたほうが早いと思う。 また、こちらはとても詳しく調べてあります。 私が実際にお会いした移住者の方々や移住地の写真が出ているので、懐かしくなってしまった。 また書籍も何冊か出ているので機会があればぜひ読んでいただきたいと思う。逆に、ここには自分が体験したことや思ったことを少し書いておこうと思う。 ドミニカ共和国に赴任してしばらくしてかつての移住地に行ったことがある。南西部にあるその移住地・・・期待と夢を持ってそこに移住した日本人たちを待っていたのは耕作にまったく向かない土地。事実、私が言ったときもドミニカ人が「もう3ヶ月も雨が降っていない」といっていた。 そこはドミニカ共和国内でも「忘れられた土地」のようなところで、何もない。おそらく数十年前と今もほとんど同じなんじゃないかと思う。 正直、私は1日でもここにいろ・・と言われたら嫌だな・・と思うようなところだった。当時のことを覚えているドミニカ人いわく、そこに3ヶ月ほど移住者たちはいたそうだけど、それぞれ他の土地へ移って行ったそうだ。 また、ドミニカ共和国の最初の移住地DAJABONに移住した第一陣の日系人にもお世話になった。この方は今は別の街に住んでいるのだけど、淡々と当時の状況を話されるのが印象的だった。 この方もおっしゃっていたが、当時のドミニカ共和国への移住は他の国への移住より条件がよかったので、審査も厳しかったことや、トルヒージョの独裁政権時のほうが待遇がよかったこと、DAJABONには当時うなぎがたくさんとれる川があって、移住者でたくさんとったことなどいろいろなお話をうかがった。 その移住の舞台になったDAJABONには今でも数家族の日系人が住んでいるし、日本語学校もある。 ドミニカ共和国には日系人のための日本語学校が数校あるが、すべて日本語学校運営委員会に所属している。すなわち、サントドミンゴ校を中心に全部分校と言う形になっている。これは多分、ほかのラテンアメリカにはないドミニカ共和国だけの独特の運営方法だと思う。 数ヶ月に一度日本語教師の研修会があって、今はサントドミンゴ校でしかしないその研修会だけど、以前は各分校が持ち回りで開催していた。 私は日系日本語学校の教師ではないので、基本的には参加できないのだけど、いろいろお付き合いさせていただいていたので、このDAJABON校で開催されたとき、参加させていただいた。 そのときの様子はこちら このDAJABONはハイチとの国境の町。こんな辺境にかつて日本人が入植し、今でもその師弟が住んでいる。 日本人墓地へも行ったのだけど、そのとき、その墓地におばあさんのお墓があるという日系人の姉弟がいた。そのおばあさんは若く亡くなっているのでもちろん一度も会ったこともないし、彼らはDAJABONに来るのも初めてだといっていた。でも、ずっとおばあさんに会いに行きたいと思っていたそうで、お墓の前で感慨深い表情で佇んでいた。 ここには日系移住の記念碑がある。 そこに書いてある言葉にとても感銘を受けた。 「未来を開く子孫よ 我らが老骨を礎となし 誇りある日本民族の血を以って限りなき発展を図り 君らが母国 ドミニカ共和国の繁栄に寄与されんことを願う」 ドミニカ共和国での移住者の中でとりわけ私の記憶の中に強く残っている家族がPEDERNALESと言う別のハイチ国境の町に住んでいる。 移住とは、日本人であることは、日本語を学ぶことは・・・こんな辺境の日系人はおろか日本人すら住んでいない街で到底できないような努力をされている家族です。そして、今の日本人はもう、もっていないような何かとても純粋な気持ちをもってらっしゃる姿が忘れられない。 ドミニカ共和国への移住は完全な失敗だった・・・かもしれない。 たくさんの方が失意の中、日本に帰りたくても帰れず他国に再移住したり、自殺したりしたことは事実で、今も日本国を訴えた裁判は終わっていません。移住者の中でも意見が分かれ、対立も生まれてる。 ただ、私はそれでもドミニカ共和国で生き抜いている多くの移住者を見てきた。中には成功を収めた方、これから成功することを夢見てあきらめずにいる方。 大切なのは「今」の日本に住む私たちが、かつて「棄民」と呼ばれた人々がドミニカ共和国にいることを知ることだと思っている。 縁あってドミニカ共和国に住んでいた私は、移住者たちのことを可能な限り伝えていきたいと思っている。 このことを書くことで、私の中のドミニカ共和国での時間にひとつの区切りができたように思う。 このブログを続けてきた集大成かな。そんな風に思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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