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カテゴリ:成都旅行
次はいよいよ武侯祠
今回の旅のメインはここ。 三国志好きにはたまらない場所だろう。 息子の目の色が変わる。 武侯とは諸葛亮のこと。死後の諡号(おくり名)「忠武侯」 に因んで付けられた。 三国時代の蜀漢の宰相・諸葛亮(孔明)を祭った社。 晋代に少し南に「武侯祠」を立てたらしい。 現在の「武侯祠」は元来劉備玄徳を祀る「漢昭烈廟」だけだったが、 約600年前の明の時代に「武侯祠」と「漢昭烈廟」が一つになった。 「武侯祠」の正面の額に「漢昭烈廟」と文字が書かれているが、 「昭烈」というのは劉備の謚号で、劉備が白帝城で亡くなってから、 その屍体が成都に運ばれ、葬られた。 劉備殿の門前の扁額「明良千古」は、「明」賢明な劉備と「良」忠誠な諸葛孔明は、「千古」後世まで伝わる という意味とのこと。 「明」の字の左側の「日」が「目」になっているのが気になった。 中国語ではこう書くのかな。なんて思っていると、その気持ちが通じたのか、 曾さんが解説してくれた。 この「明良千古」の扁額は、中国明の時代の次の時代である清の時代に作られたもので、その前の「明」の時代を称えるようなことはタブー。そこで「明」を称えるかのような誤解を招いてはいけないということで、わざと「明良」の「明」の「日」を「目」にして、決して「明」の時代を賞賛したものではないことを示したとのこと。 こんなこと、現地で知っている人に聞かないと判らないですよね。何かものすごく得したような気分になりました。 曾さんの話では、劉備の遺体は炎天下白帝城から成都まで 運ばれたと言うが、完全な形で千里も離れた成都まで運ぶのは困難。 別の場所に葬られた可能性が高いとの指摘があるらしい。 ここで、不覚にもおなかの調子が悪くなり、トイレに行く。 中国のトイレは勝手が違うと聞いていたので心配したが、 三国文化陳列室横のトイレにはちゃんと扉が付いているじゃないですか。 やれやれと扉を押して中に入り鍵をかけようとして・・・ かぎの金具はついているけど、留め金が無い。スライドさせる 金属バーが無い。鍵がかけられない。あらら・・・ でも我慢できない。 仕方ないので、扉を手で押さえながら用を足しました。 (つづく) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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