テーマ:介護・看護・喪失(5287)
カテゴリ:喪失と再生
葬儀と葬儀社のことを書くのは、ブログを再開した時から決めていたこと。
けれども、私の中で消化し切れていない思いもあり、またシビアな状況が続く入院中の大切な友人であり戦友である親子達のことを思うと、縁起がよくないような気がして、いままで書くのを伸ばし伸ばしになってしまっていました。 でも土曜日の深夜に、病棟で何か悲しいことがおこったことを、知人のメールで先ほど知りました。 これを機に、書いてしまいます。 ■葬儀社について 病院で死亡が確認され、全ての処置が終わると、地下の霊安室に通され、そこから病院に別れを告げることになります。 我が家の場合のような小さな子はダッコして自家用車で自宅に帰ることが多いようです。 病院が用意してくれる死亡証明書を携帯していれば、法的には問題ないそうです。 他の病院とは違い、葬儀社の斡旋や紹介はありませんでした。 我が家の場合はまた春先だったので、自宅についてからゆっくり葬儀社に電話して、「葬儀を依頼したいこと、急だったのでドライアイスなどの用意もないこと」を伝えました。 我が家の場合は、病院近くのいちやなぎ中央斎場に夫がよい印象を持っていたので、ここを運営する一柳葬総本店:052-251-9296 に電話しました。 亡くなった人の年齢を聞かれ、2才といったら驚いた様子だったので、病院でなくなったことと死亡証明書も手元にあることを伝えました。 子供の体を少しでも長く手元においておくためには、特に夏場は早急にドライアイスを用意することが必要になります。 電話をしてから1時間ぐらいで、葬儀社の方がお花と仏具、ドライアイスを持ってきてくれました。 息子の年齢に配慮したのか、ベテランっぽい方を派遣してくだされ、立ち入ったことは聞かず、それでも最低限必要なことは聞きだしてくれ、最初から一番シンプルで経済的なコースをすすめてくれました。 料金体系も明確で、見積もりを書いてくれるので安心です。 僧侶は、夫の実家が檀家になっているお寺に頼み、病院のお母さんたちに突然の死の説明もしたかったので通夜と告別式を斎場で行うことにしました。 息子は、その死の瞬間まで、難しい状態から奇跡的に回復し再発もないと思っていて、他のお母さんたちに「母親が笑顔でがんばってると、子供の治りもはやいんだって」と励ましていました。うぬぼれを差し引いても、希望の星のような存在になっていたので、何も説明しないとショックを与えてしまうからやらねば、思って。 また、親族が花をおくりたいといってくれたので、お花は盛大に追加することになりました。 また、病院のお母さんたちには近くで碧雪にお別れを言ってほしかったので、通夜・葬儀の後に棺の近くでお別れを言う時間をもうけてもらいました(通常はあまり行わない)。 けれど実際には、生前の息子とはあったこともない、私ともそう親しくはない職場関係の人まで見にきてしまって、少し不愉快でした。 最後のお別れも、親族と看護士さんや病院で親しかったお母さんだけでやりたかったのに、そう親しくない人(息子から見て)がいつまでも立ち去らず、なんて配慮がないんだ!とちょっとむかついてしまいました。このあたり、いまだにちょっと許せてないかも。 通夜はやってもよいとして、私たちのような場合、告別式は身内だけでやるのもよいかと思います。 けれど、全般的にはこの葬儀社に依頼してよかったと思います。 仏壇ができるまで祭壇を借りていますが、このレンタルと最初に持ってきてくれたお花も無料で(葬儀料金に含まれている)、親族からのお花も全て入れて、200万円弱で収まりました。 名古屋市全域がサービスの範囲のようなので、それ以外の場合は難しいかもしれませんが、特にあてがなければ連絡してみる価値はあると思います。 ■火葬場について 名古屋市とその近郊では、遺体の火葬は全て八事斎場で行われます。 私は火葬場に行った経験がないので、そのあまりに事務的な様子(平針の運転免許更新の場所みたい)に 驚いてしまいました。 火葬している間、待ち時間が1時間ほどあるのですが、一柳さんを通した場合、個室を用意してくれていたので、少しは落ち着くことができました。 通常は、オープンスペースのテーブルとパイプ椅子のような椅子で待つことになるようです。大往生の人ならともかく、子供を急に失った場合の母親には耐え難い場所と思います。 最近の火葬場は高温で焼くため、小さな子供の場合、お骨はとてもわかりにくく小さな破片になってしまいます。 私は人体骨見本のような形になるのかと思って、最後まで見届けて、どんな骨をしていたのか目に焼き付けようと思っていたので、あまりに違う形に呆然としてしまいました。 火葬場は、いくつも炉が並んでいて、他の人ともすれ違います。事前に「母親の中にはとても見られないといって同行を辞退する人もいますが、どうしますか?」と聞かれていたのですが、私は最後まで見届けたかったので同行しました。 だってもっとひどい状態や、手術できりとった患部まで直接確認したのですから。 そして、骨になってしまった姿には想像をはるかに上回るショックをうけました。 それまでの治療生活で、CT撮影のための薬による入眠や、手術の麻酔、さらには衣食前の大量化学療法の副作用で、「息子が死んだようにじっと寝ていて動かない」という様子には免疫があったし、ベビーマッサージをやったり念入りに全身の手入れをしていた(ハンドマッサージは免疫力の向上に効果があると聞いていた)ので、私は子供の体に大変な執着があったようです。 精神分析的には、それまでは息子の死を受け入れいなかったのだが、骨になったことでその現実をつきつけられた、というとのようです。 一連の儀式の中で、一番悲しかったのはこの時だったかもしれません。 同じ経験のある先輩おかあさんのメールにはずいぶん助けられました。 特にとよねこさん、感謝してます。 その後の初七日法要で(現在では火葬場から戻ったらその場で行うことが多い)じっと座っていられない感情に襲われましたが、お経を唱えること(浄土真宗大谷派なので、皆で一緒にお経をとなえます)、そして住職が追加で(?)あげてくれたお経に救われました。意味が全て分かったわけじゃないけれど、「骨になって嘆いていても戻らない」よいうような内容でした。 ■その後の母親の心情について 私は、実家の祖母がお寺関係の行事が大好きで、孫の私たちにも強要するのが嫌で、アンチ宗教だったのですが、死別といった悲しみには、宗教は大きな力があると感じました。 実は祖母は私と同じように、2才で最初の子供を失っているのです。 祖母の話はまた別途書きますが、いろいろと助けられました。死別直後は「何を言ってもあなたが悲しいだけだから何も言わない」と一番うれしい言葉をいってくれたり、何日でも子供を手元においておきたいと主張する私に(だんだん「死体」になっちゃって見ていると辛くなると周囲は主張しました)「徐々に体が変化していってしまうが、それを見ているうちにようやくあきらめがつくもんだ」と擁護してくれたり。 線香の香りは苦手だったのですが、悲しみに打ちひしがれながら、息子の傍で眠る私たち両親にとっては「悲しい気持ちに沿うやさしい香り」に感じました。 祖母は「最初の3年はいかんけれど、そのうち元気だった頃の姿が目に浮かぶようになる。60年たった今でも、忘れることはない。」といってくれました。 今はまだ、息子のことを思うと、ショッキングな死の場面やつらかった治療の日々が思い出され、叫びだしたくなるような気持ちになります。けれどその発作(に近いと思う。フラッシュバックやパニック障害といった状況に近いかもしれない)の頻度も徐々にですが減ってきています。 また、先日はじめて「夢の中で元気な息子と遊ぶ」という経験をできました。(これまでは夢にでてきても、病院のベットにいたりして、ちょと悲しかった。精神科医いわく、夢に見るということは経験が整頓されていることなので、よい兆候らしいです。) すごく幸せな気持ちになれました。 また、不思議に思われるかもしれませんが、子供が元気だったときこうだった、あんなことした、という話を親族とするのはとても楽しく、幸せな気分になれます。 子供との別れは、とてもつらく、救いがないことのように感じられます。 けれど、子供との思い出や愛情はいつまでも残ります。これは誰にも奪えません。 だから、もしこの悲しいお知らせが本当だったとしたら、まずは心残りのないよう一連の儀式を執り行えるよう、そしてその後ゆっくり「子供を失った親の気持ち」について語り合えたらいいなと祈るような気持ちでいます。 葬儀を一般参加可能な形で行うなら、ぜひ参加したいです。何か情報をお持ちの方、連絡お願いいたします。 一柳葬総本店:052-251-9296 (年中無休24時間受付) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
September 28, 2007 11:51:01 AM
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