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November 12, 2008
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カテゴリ:喪失と再生
友人と会ったのをきっかけにいろいろと考えていて、ようやく分かったことがある。

私の辛さの原因と、回復の遅さの原因は「自尊心の欠如」だ。
自分のことを信じられる、自分は価値ある存在だと思える、そんな感情を失っていた。

私は幼少の頃から、生き辛さを感じていた。
持って生まれた性格もあるけれど、「良い子」でいなければ存在を許さない家庭の雰囲気も原因だ。

思春期の頃にいよいよ行き詰まりを感じて、「自分のことを好きになれるよう頑張ろう」と決意した。読み漁っていた本や雑誌や新聞に「自分のことを愛せない人は生きていけない」と書いてあったので。好きにさえなれば、少しは辛くないのかと思って。
いいなと思える友人の言動を真似したり、自分のことを裏切らないよう幼いなりに努力を重ねた。
幸い学校には適応できていたので、文化祭が終わるまでとか、次のテストまで頑張ってみようと区切りを設けて。ダメだったら自殺しちゃえばいいや、と開き直って。

何かの本かコラムで、「20歳までに自殺しなかった子供はその後も生き延びられる。それまで悩んできた分、自殺を考えなかった子供よりも、人生を楽しめるであろう」と書いてるのを読んだ。
その人の言葉どおり、私は大学生になってなんとかアイデンティティを確立し(それは同時に実家からの脱出でもあったのだが)、職も得て、人生を楽しめるようになった。
仕事は大変だったけれど、私にとっては念願の「経済的にも精神的にも独立する」という夢を叶える大切な手段だったので、多少嫌なことがあっても平気で頑張れた。

海外などで「あなたの宗教は何か」と聞かれた時、あたりさわりなく「仏教だ」と答えていたけれど、本音では「私は自分だけを信じるのだ」と思っていた。

仕事もある程度実績ができて、自分の主義主張を理解してくれる相手に出会えたので結婚もした。実母は私の思想を理解しないままで、様々な妨害を行ってきたけれど。
(夫の両親にも「結婚はしたいですが、嫁に入るのは嫌です」という主義を理解していただいたのに、「結納をしろ」と強要してきたり。)

夫は思ったよりよくできた人で、結婚生活も上手くやっていける目処がついたので、子供を産んだ。
無条件に愛そうと思った。
私は「無条件に愛されている」と感じた経験はなかったけれど、親に条件付でしか愛されない子供の辛さをよく知っている。きっと努力と工夫でなんとかやれるであろうと思った。
不安はあったけれど、子供が生まれてきた時にその顔を見て「ああ、君だったのか」となつかしいような感情に包まれたので、大丈夫だと思った。
(そんな感動のシーンにも、実母は断りなく乱入してきたのだが。)

でも治療と入院生活は思うようにならなくて、息子をマルク(骨髄の検査でとても痛い)に送り出すときなどは敗北感を味わった。
「あおくんママ」でもなく「苗字+さん」でもなく、「おかあさん」と記号で呼ばれる入院生活も辛かった。

実母はこんな時にも無神経な言動を繰り返し、改めて私は精神的に頼れるのは自分だけなのだと思った。
自分の母親に悩みを相談できる人が、無条件で育児を手伝ってくれる母がいる人を、うらやましいと思った。
人をうらやましいと思ったのは、はじめての経験だった。
嫉妬されることはあっても、嫉妬はしないというのが私の身上だったのに。

息子を失った時に、私は自分への自尊心も失ってしまった。
私は息子を守れなかった。
そのことが心を占め、心を病み、人と上手に接することができなくなった。
自分自身を信じることもできなくなった。
「あせらず、たゆまず、おこたらず」努力していれば、いつか少しは報われる、という信念も失った。
夫に対しても自分の価値が下がったような気がした。夕食を完璧に作ることに固執していたのはそのせいだと思う。

でも今、少しづつ自尊心を取り戻しつつある。

台湾の占い師に「貴方は生まれ持った運が強いから大丈夫」と言ってもらったのが最初のきっかけ。
カウンセラーの先生が「あなたは才能がある人なんだから」と繰り返し洗脳するかのように言ってくれ、主治医も「普通なら寝込んでいても不思議ない時期なのに、頑張っている」と評価してくれた。
勇気を出して行ってみた小説教室に溶け込むことができた。最初に書いたエッセイが、小さいけれどとある賞に首席で入選した。
もちろん、夫や友人(ブログで知り合った皆さんも含めて友人です)が暖かく見守ってくれたことがベースにある。

自尊心がないと卑屈になったりして、人との関係もうまく結べないし、心を平穏に保つことも難しい。

息子を失った当初「次の子供を産めば悲しみも癒える」みたいなことをよく言われた。
子供を育てることや母親であることに、自分の価値を見出している人(アイデンティティがある人)ならばそうかもしれないけれど、私は違う。
まず自分が自分を信じられるようにならないと、何もできない。
この一年半でそのことがよく分かった。

だから私はまず、職場に戻ることを目標に頑張ろうと思う。
生きがいとか出産とかを考えるのはその後だ。


最近、私の周りには悩みを抱えている人が多い。

原因も解決策も様々だろうけれど、「自尊心」という言葉がキーワードになるのではないかと思う。
自分が何によって自尊心を保ってきたのか、今は何故それが損なわれているのか、これから自尊心を保つためにはどうすればよいのか。
短期的な視点と長期的な視点、両方で。

自分が「あ、落ち込んでいるな」と感じたら、自尊心を取り戻せるような何かをするとよいと思う。
私がよくやっていたのは、美容院やマッサージに行って丁重に扱われてみること。
昔得意だったことだとか、好きだったことをもう一度してもるとか(手芸でもスポーツでも)。お洋服を買ったり、ブランド物やほっこり系のものを身に付けることで自信がつくなら、そんなことでもよい。
自分の自尊心を傷つけてくる人から離れたり接触を少なくすることも、解決策の一つだと思う。

同時に、長期的な視点で、根本的な解決も考える。
環境と自分、どちらを変えればよいのか。
自分にとっても「理想」はどんな状態なのか。それに近づくためには何をすればよいのか。
自分にとって何が重要なのか、私はこうであれば幸せだと感じれるものはなにか、はっきりしている人は強い。

「自分にとっての自尊心」を考えることが、生き辛さを取り除くコツだと思う。
遠回りかもしれないけれど。


また落ち込んだり、悩んだりして考えが変わるかもしれないけれど、なんだか一つの答えにたどり着けたような気がするので、記念に日記を残しておく。





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Last updated  November 13, 2008 11:39:06 AM
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