テーマ:京都。(6100)
カテゴリ:旅行
私は子供の頃、NHKの「行く年来る年」を見るのが結構好きだった。
なので「除夜の鐘と言えば知恩院だろう」と思って迷わず知恩院へ向かう。 お寺らしい長い中途半端な高さと間隔の階段を上ると、ロープでつづら折になっている行列が現れた。 あの有名な除夜の鐘は、入れ替え制で並ばないと近寄れないらしい。5分間で入れ替えとのこと。まだ鐘の音は聞こえないのに、ざっと200人以上の人が並んでいる。 私たち夫婦は行列が苦手。でも、せっかく来たのだからとりあえず並んでみようと列に加わったが、列はちっとも動かない。 夫は「除夜の鐘をつきたい」と言っていたけど、寒すぎる。マスクもしないで咳き込んでいる人も多い。ちょっと嫌だなぁと考えていると、夫も同じように「私がどこまで鐘にこだわりがあるのか」を考えていた様子。お互いの視線でそれを感知し「出ようか」とささやき合って、そっと列を離れた。 並んでいる他の人の気分を害しないように、かなり列を離れてから「あんなに並ぶとは」「ディズニーランドのようだ」と驚きを報告しあう。 ちなみに除夜の鐘のスケジュールはこんな感じになっていました。 左手に豪華なマンションを見ながら、あてもなく石畳の道を北へ進む。 年末の京都は、2月のシアトルより寒い。足下からしんしんと冷えてくる。 「たくさん歩くから」とスニーカーを選んだのは完全に失敗で、皮のブーツ+足裏に貼るカイロで行くべきだった。 途中、あまりに寒かったので、よさげなカフェを見つけて暖をとった。 さすがに世界の観光地・京都。大晦日でもバスは深夜まで動いているし、営業しているお店もちらほら。 入ったのは、名前を控えていないのだけれど、町家風の建物を改築したちょいほっこり系カフェ。 インテリアもかわいいし、2階の窓側からの眺めはいいけれど、すきま風が寒い。 若い女性がオーナーのようで、新しく入ったバイトさんに厳しく「チャイの作り方」を指導していた。作り方だけじゃなくって、道具を置く場所とか、手の動かし方までイチイチねちねちと。途中から店に現れた共同経営者っぽい第三の女性は、それを「効率のよいやり方は人それぞれだ」とやんわり牽制コメント。 微妙な空気が3人の間を流れる。 お茶もお菓子もおいしいし、雰囲気も立地もよかったけれど、人間関係が心配なお店だった。 時刻はこの時点で22時半。 せっかくなのでもう少し町を歩こうと、平安神宮を目指す。 平安神宮の鳥居が見えてくると、暗闇の中突如不思議な屋台が出現した。 町内会や子供会がお祭りに出店しているような簡素なテントとテーブル。 けれど商品は、各種肉まん、メジャーどころの飲料、おでんと、結構しっかりしている。 テントの後ろを見て納得。平安神宮前にあるコンビニが、自分のお店の駐車場を使って、臨時拡大営業をしているのだ。 参拝客にとっては、素性のしっかりした商品が、適正価格で買えるうれしいお店。 お店側にとっても、臨時収入源となるであろう。店長、やるなぁと感心してしまった。 12月31日の23時前の平安神宮は、すでに厳戒態勢。 初詣はかなり混雑するのだろう。警備員はたくさんいるし、機動隊(?)の車もスタンバイ。けれど参拝客はまだらで、不思議なバランス。 初詣なのかお参り納めなのか、よく分からない年越し前のお参りをして、タクシーでホテルに戻った。 結局、年越しはホテルの部屋で。 カーテンをくぐって窓にぴったり近寄ると、あちこちから輪唱のような除夜の鐘の音が聞こえてた。 不意に、去年も同じようにホテルで年越しをしたことを思い出す。 違うのは、場所がバンコクで、聞こえるのが鐘の音ではなく花火の音であったこと。 バンコクでは年越しの時に、あちこちから花火が上がるのだ。 昨年は、翌日の1月1日に、バックパッカーが集まるカオサンという通りに出かけた。 そこには日本人の若者がたくさんたむろしていた。実家に帰れないのか、帰らないのか。 中でも、立ったままスキヤキ風味付けのパッタイをほおばっていた青年が印象に残った。 育ちのよさそうな顔をした彼は、私たち夫婦を見ると視線をそらし、何かを飲み込むようにタッパイを流し込んでいた。 あの彼はおうちに帰れたのだろうか。除夜の鐘の音を聞きながらそんなことを思った。 実は私、結婚するまでは大晦日の夜に出かけたことがなかった。 子供の頃は父が深夜の初詣を「こんな寒い季節の深夜に人ごみに行くなんて、風邪を拾いに行くようなものだ」とかたくなに禁止してたし、大人になってからも年末年始は実家にいることを義務のように感じていた。誰に強制された訳でもないのに。 ホテルで年越しをする人がいるのは知っていたけれど、それは遠い別世界の人々のように感じていた。経済的な理由ではなく、因習的な理由で。 結婚して、最初の年は、夫に連れられて海外で新年を迎えた。 その後いろいろあったけれど、今の私は、大晦日を自由に行動できるようになった。 私は義務的な人つきあいが苦手で、結婚することに不安があったのだけれど、私は逆に結婚して自由になったと思う。いろいろなことから。 そんなことを思いながら、新年を迎えた。 (つづく) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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