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February 2, 2011
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カテゴリ:喪失と再生
年明けに病院から電話がかかってきた。

「開示請求いただいたカルテの準備ができたのですが、血液検査結果だけエラーになってしまってご用意できません。担当部署に問い合わせていますが、いつになるか分かりません。申し訳ありません。」とのこと。

息子が入院していた5年前、血液検査の結果には特殊な記号が使われていた。
きっと旧バージョンではそのあたりが適当に対応されていたのに、システムがバージョンアップして対応できなくなったのだろう。

業務システムのトラブル切り分けが得意だった私はすぐにそんな想像をするのだが、余計なことは言わない。私はただでさえ扱いにくい死亡患者の母親なのだから。


先週、再び留守電が入っていた。「お伝えしたいことがあるのでお電話ください」とのこと。
けれど私は転職活動が佳境でそれどころではなかった。

ようやく入社する会社が決まった昨日、病院に電話を入れると案の定「全て資料がそろったのでお渡しできます」とのことだった。

ここまでは想定内。しかし「あおゆき様の資料が2956枚、高さにして30cmくらいになります。とても一人で運べる量ではないのでキャスター付のバッグなどをお持ちください」とは驚いた。
資料は1枚あたり20円のコピー代が必要なので、全部で5万円くらいだ。

受け取りには心の準備が必要だ。本当ならもっと気持ちと体調を整えてからいきたいところだが、直近に入社日を設定されてしまった私に迷っている時間はない。私は「明日取りに伺います。時間はわかりませんが」と伝えて電話を切った。

病院の最寄の駅はバリアフリーでない。そんなに重いなら車で行くのが無難だろう。

今日も朝から入社に関するごたごたとした連絡が相次ぎ、落ち着かない状態のまま車を出す。先日の遠出の時にセットした渡辺美里のCDが私の感傷をあおる。いそいでFMに切り替えるのだが、チューニングが上手くいかない。

はっとすると信号無視をしそうになっていたり、割り込む車に気がつくのが遅れていたり、危ないことこの上ない。「しっかりしろ!」と自分に活を入れ、近づきたくない病院へと向かう。

夕日になりかけた日差しを浴びながら運転していると、病院と自宅を往復した日々を思い出す。外泊から戻る道で涙が止まらなくなったことがあるな、と思い出す。もう当時を思い出しても刺すような痛みはないけれど、かわりにぼんやりと現実感を失いそうになる。

カルテは真新しい紙袋8袋にわけられ用意されていた。そしてその1.2倍くらいの量で検査結果の山が用意されていた。検査結果はほとんど血液検査の結果で、手元においておく必要はないと思われるのだが、切り捨てることができない。どれも全てが息子が生きた貴重な証のように思えてしまうのだ。

納品検品の要領で、簡単にぬけやもれがないかチェックしようと思うのだが、どうしても記述内容に目が奪われてしまう。
過去分から見ようと思ったのだが、日付が新しい順に並べられていて、表紙をめくったらいきなり死亡解剖の記述が目に入ってしまう。
息子がうなる様子や離乳食の様子など「思ったより細かく気にして記録してくれていたのだな」と思う一方、「母親の意識が」など私に関する記述も多い。
看護師達は私のケアが不十分だと感じていたのか。私は看護師のケアが不十分だと不満を抱いていたのだが。
気になる記述に気をとられると、ついその箇所を読み出してしまう。

入院日前や退院後にもカルテの記述はあるようで、資料請求範囲を最初の入院日から最後の退院日(命日)で指定していた私は、追加でその前後の資料も用意してもらった。
そんなこんなで1時間ほどの滞在。担当の事務員の方の過剰な気遣いがうっとおしくもあるが、同時に気を使わせてしまって申し訳ないとも思う。

最後に事務員の方が請求書を用意しに席をはずしている間に、資料をキャスターバッグに詰めた。
リモワのサルサ。入院時代に使っていたキャスターは新入社員研修用に購入したバッグ。それが度重なる入退院でついに壊れ、息子との死別後に買い換えたバッグだ。

病院は改装が重ねられ、とても美しいロビーに変わっていた。同時の面影はどこにもない。リモワのキャスターがすべる音を聞きながら、以前のバッグだったら音が鳴り響いてしまっていただろうなとそんなことをぼんやり思う。
病院も変わるし、私も変わる。けれど入院患者さんは依然としてそこにいる。

帰りのエレベーターで入院患者さんと一緒になった。私と同年代くらいの女性。昔と同じ入院服を着て、マスクをし、私達が持っていたのと同じデザインの診察券を持っていた。彼女は地下1階へ向かうらしい。この時間に検査はありえない。きっとこれから放射線治療を受けるのだろう。

私はこの病院の全てを知っている。1年間も住んでいたのだ。掲示板にはのっていない霊安室の場所だって知っている。けれど今日訪れた病歴管理室には縁がなかった。

ここにくると、あの苦しかった日々を思い出す。衣食住どころか正常な感情すら我慢して全てを削って暮らしていた日々。ほんの5分でも息子の看病をかわってくれる人がきてくれたらトイレにいけるのに。湯船にゆっくりつかりたい。手足を伸ばして眠りたい。そうすればもっとよい状態で息子の世話が出来るのに。母乳をあげなければいけないのに昼食の用意がなく、他の子供が残した食事をもらおうかと思いつめた日々。

そんな日々が今も病棟では繰り広げられているのだろう。私は仕事なんてしている場合じゃないのではないか。同じ苦しみを味わっている親子を救う活動をすべきなのではないか。
そんな焦燥感にかられると同時に、あんな日々を体験したのだから何もできなくても仕方がない。自分を癒すので精一杯だとも強く思う。

駐車場から慎重に車を出す。霊安室に面したロータリーで主治医と最後のお別れをした日を思い出す。死んでしまった子供は荷物と同じ。チャイルドシートにすわらせる必要はない。思いがけないことを知った私は大切に大切に息子を抱きしめた。息子を抱いて帰宅できる。それは思いがけない贈り物だった。あの時窓から飛び降りなくてよかった。そう思った私は多分微笑んでいたのだろう。私を観ていた医師と看護師が一瞬これまで見たこともない顔になった。

どうしてそんな顔をするのだろう?当時の私は本当に分からなかった。その後何度も同じ目にさらされ「ああ、これは私を痛ましいと思っている人の表情なのだ」と学習するのは何ヶ月も後のことだ。

夫の運転で何度も通った道を慎重に運転しながら、私は自分に言い聞かせる。
私は変わった。自分で運転ができるようになったし、不眠もPTSDも克服して職場に復帰した。その後迷走はしたけれど、面接でいきさつを適切に説明でき、転職にも成功した。バンコクに再び行けなくなったことは寂しいけれど、そんなの今までの悲しみに比べたらたいしたことではない。新しい職場にだってはじめての転職だってきっと大丈夫だ。


ツイッターでカルテ資料を取りにいくことをつぶやいたところ、同じ体験をした方がメッセージをくれた。やはり看護記録には傷つけられたとのこと。この気持ちを分かってくれる人がいる。そんな気持ちは何よりも私を守り癒してくれる。

私は更新が滞り勝ちだったこのブログに、カルテ開示請求のことを書かねばと久しぶりに思った。





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Last updated  February 5, 2011 11:23:14 AM
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