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テーマ:花と自然を楽しもう(15573)
カテゴリ:反省
つくった庭はずっとみてやらなあきません。 守(も)り をせな あきまへんのやわ。 子守りでも そうですけど、子供の性格がわかるから 守りができるんです。 手入れとは、散発するようなもの、 きれいに切りそろえたらいい。 そのときだけよければ いい ということやろ。 わしらの仕事は、性格がわかって、こうしたら、こう育っていくやろと いうことを知っていて、守りをしながらやっていく仕事。 はじめの1回だけつくって終わりではない。 守り....昔の町医者。 そのこの親のこと、家族環境、食べ物までしっていましたわ。 →だから、その子のことは、ようしってまっしゃろ。 だから、「こうしたらいい」と 言える。 手入れ...今の病院。 庭は、育てて、それから、守りをして、それを楽しむもの。 庭は、ものではない。 ....................................................... ~露地行灯(あんどん)~ お客さんがくるときに、ろうそくを点(つ)けて 中に居るときには消えている。 それで、帰るときにまた火を入れて、水を打つ。 これも、客に対する心遣い。 今は、露地行灯のなかに、電気をいれたら、ついているだけ。 しかし、それでは情景はでてこない。 そうそくや、油だと、明かりが揺れる。 ほのかに揺れるものから、日本人は なにかをつかみとることが 多かったのではないですやろか? ............................................. 今のものが なぜ、 倒れるかというと 理屈に適(かな)う ことをしていないから 形だけつくってあるだけ。 形の時代になってしまったことに、 誰も気がつかないんですな。 「桜のいのち庭のこころ」 佐野籐右衛門さん 絵:奥村土牛さん 読んでくださってありがとう。 ~cherchemidiのアドレス帳~ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
February 1, 2011 08:10:16 PM
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