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カテゴリ:斉藤一人さん
悟りの話をします。 悟りっていうと偉く難しい感じがするんですが、 これが意外と簡単で、修行もいらない。 お釈迦さまもね、難行苦行っていうのをして 日本のお釈迦さまってポチャッと太ってるでしょ。 ところが、インドの方とかね、外国の方とかだと 修行中のブッダってすごく痩せてて、もうあばら骨とか 出ちゃってね、私みたいですよ。(笑) それがですね、最終的に難行苦行は無駄であると。 過激な修行は無駄であるということを言ったんですね。 悟りっていうのは字で書くとこうです。 心を表してるんです。 五っていうのは手です。 それが自分の口に向いてます。 悟りというのは 自分のことが、わかったら悟りなんだよ っていうことですね。 自分って何だろう?って追求して追求していくと、 悟りに近づいていく。 もう一つ、言霊と言ってね、言葉には意味があるんです。 神がつけた意味がある。 『さとる』という『差をとる』 『差をとる』ってどういうことですか?って言うと、 人間ってね、いろんなことに差をつけるんです。 女だからどうだ、 男だからどうだ、 学歴がある人、学歴のない人 日本人も昔は 日本人は優秀で、他の国の人間はそうじゃないんだとか 言って、差をつけたがるんです。 差をつければ、つけるほど、『悟り』からは 遠のくんです。 今の日本人であんまり、 外国人より自分たちの方が優秀であるとか 思っている人っていませんよね。 今の若い人で、男尊女卑とか思っている人も あんまり、いないんですよ。 だんだん、悟りに近づいてくる。 っていうことなんです。 最終的にね、いちばん差が取れるっていうのは どういうことですか?っていうと、 自分と神様は同じものなんである。 この話ちょっと難しくって、 すごい話になっちゃうんだけど。 キリストが言ったように、 『あなた達は神の子なんだ』ということは、 神の子っていうことは神なんですよ。 蛙の子は蛙ですからね。蛇の子は蛇なんです。 簡単な話なんですよ。 だから神様の子は神なんだ。っていうことね。 神様の子は神なんだから、立派な神様に育っていくんだ。 その、育つ過程に今、我々はあるんだ。と。 人間って背骨があるから、しっかり立ってられるんです。 他の動物ってあんまり、直立で歩けないんですよ。 この背骨がね 曲がるんですよ。 具合が悪くなると背骨が曲がってくるんですね。 何番目の背骨が悪いと胃が悪いだとか、 肝臓は何番目だとか、決まりがあるんですよ。 カイロプラクティックっていうのをやると、 身体の状態がよくなるんですよ。 酷くなると、脊髄湾曲症とかいって、 曲がってきちゃったりね、いろいろあるんですけどね。 これがですね、奇跡的に直る方法があるんです。 誰がやっても直るんです。 それは、 『我は神なり、愛と光なり』って言うんです。 10回か20回言うんです。 それを言うと、身体から力が抜けるんです。 力が抜けると筋肉の硬直がとれる。 そうすると正常になるんですよ。 自分は神なんだっていうことを言うとね、 身体が柔らかくなるんですよ。 ところが、自分ひとりで頑張んなきゃいけないだとか、 要するに、自分にあんまりにも頼りすぎちゃって 『自分が、自分が』っていうのは『我』なんですよ。 『われが、われが』の我が強くなってくると、 脊髄にマワリが出るんですよ。 時々ね、おまじないじゃないんですけど、 背骨がまっすぐになるおまじないだと 思ってればいいんです。 そういう不思議なことが起きるんです。 誰か、背骨の曲がった人がいたら、 それを言わしてみたら、楽になるんですよ。 だから何なんだ?って言われると、 困っちゃうんだけど。 そういう不思議なことがあるんです。 心地よい言葉は身体を正常にするんです。 癒すんです。癒す言葉ってあるんです。 それをね、一番身体が硬くなる 『何でも頑張らなきゃ』 『自分の力で』とか。『人に頼らずに』とか。 言うとね、言えば言うほどね、 身体が硬直して硬くなってくるの。 ホントなんですよ。 『治りました。出ぱってたのが平らになっちゃった。』 カイロ行っても、 鍼も灸もやっても治らなかったのが治った。 それの時って頑張らなきゃっていう気持ちが強かった。 そんなことより、フーッと力を抜いてあげて 『我は神なり、愛と光なり』って言ってると 自分がもしも神だとしたら、 愛と光の人間だったら、どういう生き方するんだろう。 人に何を喋るんだろう?なんて考えてるうちに 治っちゃうんです。 ね。こんなお安い方法ないでしょ。 覚えといてくれるといいな。 それから、『我が神なら、人も神なんです。』 みんな大切な人間なんです。 それを些細なことで、 あの人高校中退なのよとか。 それが何なんだ。っていうの。 誰でも、高校行けば偉いんじゃないの。 誰でも、大学行けば偉いんじゃないの。 みんないろいろ、事情があるの。 道路工事してる人もいるし、 家つくってる人もいるの。 ペンキ塗ってる人もいるの。 いろんな人がいて成り立ってるのね。 学校行ったらいけないって言ってるんじないよ。 ホントは行きたくない人も行ってるのね。 だからね、いろんなことで差をつけるとね、 その差をつけてる人ほど、苦しいよ。 人にいちいち、差をつければ、つけるほど 自分がどんなに下の人間を見て差をつけたって その差のことばっかし、考えてるから、 大概、人間は下見て生きてないのよ。 自分より、上見て生きてるから。 もっと学歴の高い奴 もっといい学校行った奴 もっと金持ってる奴 もっと家柄の良い奴 そんなことばっかり考えてるから 上がだんだん、だんだん、重くなってくるの。 重くなればなるほど、背骨に負担がかかってきちゃうの。 だから、差をとるの。差をとればいいの。 この差をとれば、すごく幸せになれるの。 その中で、自分が真にやりたいことってなんだろうって。 それを追求していったら、 ホントに楽しいことがいっぱい起きるよ。 こんなもん、何日間も座禅くむとか、飯食わないとか そんなもんじゃないんです。 それよりも、人にやさしくできる気持ちがあれば 悟りなんて、それで十分なんです。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 言葉:斎藤一人さん 最後まで読んで下さってありがとう。 ーcherchemidiのアドレス帳ー お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
January 27, 2013 12:04:38 PM
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