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カテゴリ:斉藤一人さん
今から、絶対に信じられない、不思議な話をします。 『死神』というのがいます。 この死神というのは、 なぜ、神という字がついているのだろう? という話なんですけど。 みなさんが思ってるような、薄汚れた着物を着たり、 手に鎌を持っていたり、あれは、 本当の死神ではありません。 あれは、妖怪とか、もののけとか、悪魔とか、 そういうのと一緒にしてます。 本当の死神というのは神様なんです。 ひとつの天使と言ってもいいです。 小さい時、失敗した。親に怒られた。 いろんなことを引きずって生きています。 その引きずってる過去から、 切り離してくれるのが、 『死』という神様なんです。 もし、今日一日の命だとしたら、 行きたいところへ行こう。 愛する人にお世話になりましたって言おう。 とかそういうことになります。 親も、ずっと生きてるんじゃなくて、 いつ死んじゃうかわからない。 ご飯の一つでも、お寿司でも食べさせてあげたいな。 あんなに貧しい中から自分のことを よく育ててくれたなぁ。 いろんなことを思います。 私は仕事をしてて、いつも死というものを考えます。 ひとたび、死というものに会うと、 どんな会社をつくり、どんな財産をつくり、 どんなに土地を持っても、一瞬にして無くなります。 人間って何をするべきなんだろう? ただ、ただ、死を恐れるんじゃなくて、 死というものがあるんだ。 業突く張りみたいなことしなくたっていいんだ。 今、幸せじゃないか。 こういうテープでも入れた方がいいんじゃないか。 人が喜ぶ講演会でもした方がいいんじゃないかって、 思います。 人は死というものを恐れて、 毛嫌いして生きてたけど、 それは、悪魔がそうさせるんです。 死神がとり憑いて、 自殺しちゃったとか言うのがあるけど、 それは寿命が来る前に、 勝手に死んだ人にとり憑く、 もののけか悪魔のしわざです。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 昔、こういう外国の映画があったんです。 小さい時で、よく覚えてないんですけど。 ああ、この人わかってるなって思ったことがあります。 あるお婆さんが、もう年老いちゃったんだけど、 死神がくるのを恐れて、入口という入口に、 死神が入れないような おまじないをして、 ただ、ただ、年とって、顔が恐怖に震えてたとき、 一人のものすごく やさしい感じの旅の青年が来て、 コンコンってドアを叩いて、 一晩だけ、泊めてくださいって。 お婆さんはその人を見て安心して、中に入れたら、 『お婆さん、もう頑張らなくていいんですよ。 大変でしたね。私と一緒に逝きましょう』って言って、 やさしくその神様に抱かれるようにして死んでったの。 人は死んで、また、生まれ変わり、何度も生まれ変わる。 その迎えにきてくれる死っていうものを、 怖いものだって思わせようとするのは、 悪魔のしわざなの。 自分もいつ死ぬかわからないんだ。 目の前にいる人もいつ死ぬかわからないんだ。 イライラしてガガガガーってね。 お前なんか大っ嫌いだ。って、 ホントは愛してる人に言っちゃうこともあるの。 相手が死んじゃったら、 『あいつに俺、何てこと言ったんだろう』 自分が死んじゃったら、 自分はすごくね、子供やなんか、愛してたのに 『お前なんか大っ嫌いだ』って言っちゃった。 その日に死んじゃったら、自分は何って思うだろう。 そういうことを考えただけで、 人はまともに愛の道に戻れるの。 やさしくて迎えにきてくれて、 その人間が彷徨わないように 迎えにきてくれる、もっとやさしいものなの。 その死という故郷へ連れてってくれる道先案内人。 そのことを思っただけで、 過去の嫌なことなんて考えてる必要もない。 考えることができない。 もう、やることがちゃんと見えてくる。 死というものを怖がらせ、思い出させないようにして、 そうやって生きてるのは悪魔の使いで、 あなたたちは悪魔を神だと思い、 神を悪魔のように思ってるの。 だから、不幸が続くんだよ。 わかりづらいです。千人に1人、一万人に1人、 それすら、わかんないかもわかんない。 でも、ホントに逆さにモノを考えてる。 人は何度も何度も生まれ変わります。 だから、死なんか恐れることないし 死が恐れることないとしたら、 死ぬ時に迎えにきてくれるその人も 恐れることがないんです。 死を恐れないっていうのは、 ムチャクチャに暴走族になれとか 戦争しろとか言ってんじゃないんだよ。 ちゃんと生きてちゃんと迎えにきてくれる まともな話をしているの。 今言った話が万人に1人でもわかってくれると うれしいです。 追伸: 悪魔を神だと思い、神を悪魔だと思ってる っていう言葉があるんですけど、 それがわかりづらいっていうので、ちょっと説明します。 みんなが思ってる死神っていうのは浮遊霊とか、 悪魔とか妖怪とかそういうのをみんなが死神だと 思ってるんだよね。って。 だけど、最後にあなたを死の世界へ連れってって くれる人っていうのは、 あんな、恐ろしいんじゃなくて 美しくて、ホントに綺麗な輝きがあって、 そういう人が出てきて、一緒に逝こうね。って 連れってってくれるんですよね。 最後に出てくる 最高の神、最高の天使なんです。 だから、それは違うよって言うことです。 この前、こういう人がいたんです。 私、親に対して、ついつい、こういうこと 言っちゃうんだ。って。 言ったあとから、 なんで、あんなこと言っちゃったのかなって 反省するんだけど、ついつい、言っちゃうんだよね、 って人がいたんですけど。 それは、 死というものを完全に 受け入れてないからなんだよ。 あなたは親なんか、なかなか死なないと思ってるし 自分も死なないって思ってるから、 そういうことが言えるけど、 ホントにお母さんってもう年だから、 明日死んじゃうかもわからないし、 あと、一週間の命かもわかんない。 そしたら、そんなことがパッと言える訳ないんだよね。 本当は愛してるんだよね。 自分も明日死んじゃうかもわかんないんだ。 お母さんも明日、死んじゃうかもわからないんだ。 そう思うと、心の中から愛のある言葉がスッとでるよね。 この死の天使というのは、 フッと死の天使を思い出しただけでも、 心から正しい愛情が出てくるよね。 死ぬまで、親が許せない、 父親が許せなかったって人もいるんです。 だけど 本当にその父親が死んで何年も何年もしてくると、 だんだん、だんだん許せるようになったり ひとつもいいところが無いって思ってた 父親のいいところがポツンと思いだしたり、 これも死という天使が あなたの心の中に変化を起こさしてくれるんです。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 言葉:斎藤一人さん 最後まで読んで下さってありがとう。 ーcherchemidiのアドレス帳ー お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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