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まずは
大地震で亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈りいたします。 そして被災された方々、ご家族へ心よりお見舞い申し上げます。 3月11日。大地震が起こった日から2週間が経ちました。 あの時私は仕事中でしたので、ビルの33Fにある事務所にいました。 大きくて長い揺れに驚きと恐怖で動くこともできず、机にしがみついていたような状態。 33Fなので多分地上の揺れがおさまってもしばらく揺れていたんだと思います。 窓から見える工事中のクレーン車もものすごい揺れで 本当に怖かった。 その後お台場で火事という情報。確かにお台場方面に黒い煙が。 さらに千葉の石油コンビナートでも火災。 こちらは炎も見えました。 震源が宮城と知って、東北方面には親戚などもいない私がとっさに心配したのが竹善さん。 あの日はちょうど仙台キャンペーン・・・。 LISMO WAVEで仙台のFMも聴けるのでとっさにきいてみたところDearestの途中で緊急地震速報が入りました。 いてもたってもいられずTwitterで情報収集しながら、両親と連絡と取り、旦那と連絡を取り、とりあえずみんな無事で一安心はしたものの 後輩に福島出身の子がいて、まったく両親と連絡が取れず。 夜遅くなってようやく電話がつながって家の中はかなりの被害だったもののご家族にけがなどはなかったことがわかり、ほっとしました。 これだけの大地震でしたから当然電車は動かず、しばらく会社に足止め。 下手に帰ろうとしても路頭に迷いそうだったのでおとなしく電車が動くのを待ってました。 夜11時過ぎに地下鉄が途中まで運転再開の情報を見てすぐに駅に移動し、なんとか乗れて。 でも最寄り駅の2駅前まで。 そこから2時間徒歩で帰宅となりました。 その帰宅途中、地図を持って道案内をしてくださっていた方、あたたかいお茶を配ってくださっていた方、現在地がわからず地図とにらめっこしてた私たちに声をかけてくれて道を教えてくださった方、私よりも遠くまで歩いて帰るとがんばっていた大学生・・・ 本当にいろいろな方のあたたかさに助けられ、無事自宅まで帰りつくことができました。 家に帰るとCDを入れていた棚が倒れてガラス扉が粉々に割れていたり テーブルの上においていたポットが落ちて床もこたつ布団も中に入っていたお茶でびしょびしょだったり キッチンに置いてあるワゴンが全然違う位置まで移動していたり そんな状態でしたが、逆にいえばそれだけで済んでよかったんだと思います。 あれから2週間。 連日の余震、原発の事故、買占め騒動、計画停電や節電の影響、まだまだ東京ですら平常には戻れていません。 それでも日々自分ができることを探しながら、 (もちろん節電は心がけるし今後の地震対策もきちんとしておかなければとは思っていますが) 当たり前だと思っていた生活を送れることに感謝しながら、 毎日生活しています。 復旧、復興もこれから長い時間をかけていかなければならないでしょうし 本当の笑顔が戻る日まで私も小さなことしかできないかもしれませんが 一緒に頑張って行きたい、そう思っています。 最後に、心配して連絡をくださったみなさま、 本当にありがとうございました。 気持ちの整理がなかなかつかず、言葉にすることが本当に難しくて、 こんなに日が経ってからの更新となってしまいました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
March 26, 2011 06:07:12 PM
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