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カテゴリ:9・講師
自分を振り返って
自分の指導の基本について 「あの時が転機だった」 って思う事があります。 小さな出来事なんですが。 講師になって数年目くらいかな?? なんかのきっかけで 「○○ちゃん(私のこと)は、昔からよくできてたじゃん」 「できる方だったよね」 え??(笑)出来る方???!! なんだか、いい響き~~(笑)~♪ですが でも私自身はできない方、 と、ずっと感じています。 得意な部分、はそれなりに自覚はしているものの、 ある程度自覚ないと、やっていけないですから(笑) ここは。 でも、 知らない事も多いし、経験不足もあるし、 自慢できるほど上手でないし、練習も不足してる。 とにかく、全然まだまだで、 現在も、勉強途中の感覚です。 心からそう思っています。 初めて知る事も多いし、 経験していって理解できる事もあるし。 まだまだ、面白いですよ! 考えれば 新講師当初。 生徒の指導をするのに、自分を基準に考えていたんだと思うのです。 頭では、色々わかっていても 比べるものはきっと自分自身の子ども時代。 自分自身では 出来ない方。 と感じていますから、 私の子ども時代の基準よりも、 より一層高く希望を持ちたい。 そう、思ってた気がします。 無意識に。 それはそれで、ありだと思うのですが。 私の生徒で、現在企業の講師をしている生徒がいますが 彼女は、小さい頃から 「よくできる子」 でした。 しかし、彼女自身は、大学や同期の友人と比べて 「よくできる」 とは、感じていない。 本人はいまだにレッスンに通ってくれますし、 とても勉強熱心で、今でも前向きにチャレンジしてくれる生徒です。 で、 ある日言うのです 「なんで、生徒たちできないのか不思議だ」 って。 そして、悩みます 「私の教え方がいけないのか」って。 心やさしい彼女ですから、 単に、不思議に思うのです。 そして、彼女は、真剣に考えるのです。 で、私が思ってた事をいいました。 「だって、○○ちゃん、異様に良く出来る子だったよ そんな出来る子いないっていうくらい。 自分の子ども時代と比べたら、生徒たちかわいそうだよ 普通、みんな出来ないものなんだよ。」 彼女には考える基準の転機がきたでしょうか? それは、彼女自身の頭の中の事なのでわかりませんが。 私は、自分が出来る方だったと言われた時 (天狗ではなくて) 生徒のレッスン対応が変わった気がします。 自然と。 教える内容そのものは変わってない気がしますが 「このくらいわかってるだろう」 から 「みんなわからないもの」に、 確実に変化した気がします。 そこが安定したとき、 丁寧にレッスンする意味が、確実に身に付いたような気がします。 私にとって そこが、 指導するための転機 だったような気がしています。 子ども時代の友人に 「○○ちゃんは出来る方だったよね」 この、ちょっとした言葉で。 しかし・・笑 出来る方では、なかったんですけどね~。 反省だらけ ですけど・・・ 自分の基準は、自分の基準であって。 正解ではなくて。 でも、自分が思うより生徒はできることもあるし できない事もあって。 まず出来ることは、丁寧に、ぬかりなく教えていくこと。 ここは確実にきっと、できるはず。 油断しないで、指導していこう。 その後は。 冒険するもよし 冒険しないもよし どうなっていくか、 それはまた楽しみです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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