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カテゴリ:7-2・自分の事
歩行者天国の思いでといっても(笑)
原宿で、竹の子族で、踊ってたわけではないのですが・・・ って、知ってます?? 竹の子族(笑) もう、アラフォー以上の人しかわからないんだろうな~(笑) ところで、そうでなくて、 1970年代の話なのですけど(笑) 最初の私の音楽レッスンは、 ヤマハのグループレッスンでした。 当時、ヤマハ音楽教室は グループレッスンの形態が流行りはじめた頃なのでしょうか?? 近所のお友達は、 出張できてくださるピアノの先生に習っている友達が多くて、 私も、てっきり、その近所に来ている先生に習うものなんだ。 そう、思っていました。 家には古いピアノもありましたから、 いつになったら、私の家に先生はきてくれるのかな~??って。 心待ちにしてた気がします。 申し込まないと、来てくれないのにね(笑) 近所を回る先生を見かけては、 今日こそは、私の家に来てくれるかもしれない! ワクワクしてた思い出があります。 それがなぜ、ヤマハのグループレッスンになったのかというと。 大人になってから聞いたのですが、 ずいぶんと営業に来られたらしいのですよ。 たかだかレッスン生1名はいるかどうかなのに(笑) そこで、なんだか、ヤマハのレッスンに通う事に決めたようなのです。 グループレッスンではエレクトーンを使いますから、 楽器営業とともに、でしょうね。 絶対に(笑) はじめて我が家にエレクトーンがやってきたとき。 ピアノとは違う、あの足鍵盤に夢中になりました。 なんか、ごぼうみたいだな、って思いながら(笑) それはそうと。 ある時。 すでに、習い始めて、少し経ってからだと思うのですけど どこかに、出かけたんです。 両親と。 歩行者天国の横に音楽教室があって、 店頭に、エレクトーンが置いてあるのですよ。 道行く人たちが、なんだか、触ってみたりして、 わりと、人気モノに(笑)なっていたエレクトーン。 両親が「弾いてきていいよ」って言うのです。 お店の人は、ニコニコして迎えてくれた気もするんですが、 周りに群がっていた知らない人たちに、 ちょっといいですか??みたいに押しのけてくれて? そして、なんか、弾いたんですよね。 店頭の、当時、 カラフルレバーがついて、木でできているエレクトーンを(笑) 小さいから、立ったままの姿勢で、足鍵盤とか弾いたと思うのです。 1曲終わって、後ろをみると 人だかりですよ(笑) あれ、今でも覚えています。 うっかり個人練習のつもりで弾いていて、1曲終わったら おおお~~みたいな拍手とともに~~(笑) 心底びっくり、ってこういう事を言うのかな? たいして弾けてなかったのですけど、 確かに、小さい女の子が、 たったまんまの姿勢で、ぶんちゃかぶんちゃか弾いてる姿は 一種、曲芸にみえますよね(笑) 当時は、ヤマハでも、音楽システムが定着しはじめた頃なのかな? 楽器を売ろう体制がすごかった気も??するので、 その時お店の人は、歩行者天国の時いつでも是非弾きに来て下さい。 って両親は言われてたようです。 でも、なぜか、相当私が「もういやだ」って怒ってたらしいんですよ。 両親は少し困った顔していて、 「あら、のって弾いてたのにね~、、」 ええ(笑)のって、弾いてたようですが(笑) 子どもって意味不明ですから。 怖かったのもあって、びっくりしたのもあって、恥ずかしかったのもあって。 怒ったのかもですけどね。 でも、あの時、実は、すごくうれしかった気持ちなのは覚えてます(笑) 大人の人たちの人だかりだったから、 その人たちの影で 私の視線の位置は、後ろを見た瞬間、 晴れている日だったのに、真っ暗に感じた風景も覚えています。 発表会のそれとは違う感覚なんですよ。 発表会って、構えて演奏もするし お客さんも、構えて聞いてますよね。 その歩行者天国で弾いた時、フラットな感じで、わ~~って言われた時、 みんな喜んだ顔している大人の人たちを見たとき。 怖かったけど、嬉しかった気持ちもあって・・笑 最初に、音楽にかかわる仕事をしよう、 って考えたとき。 すぐに思い浮かんだのが、 ストイックな演奏をしたいそういう気持より、 もしかしたら、あの感覚を引きずって、 みんなに喜んでもらいたい! そういう感覚だったのかもしれないです。 これがきっかけかどうかは、わかりませんけど。 いまだに覚えている何十年も前の話です。 着ていた洋服も、靴も、髪型も 拍手された時の気持も覚えてるのです。 地味~~~~な懐かし話なんですけどね。 今はそういうの見かけないですね。 歩行者天国。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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