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日本における先輩後輩の間柄というのは、真夏の扇風機もない四畳半に寝転がってかく汗のようで、実にねちゃねちゃべとべと嫌らしいけど、けっこうそうのを喜ぶ人もいる。タイの場合はまあ、日本ほどひどくない。それでも大学にはソータスという新入生いびりが根付いている。
ある教授が留学した折に経験したことを、バンコクの農業大学に持ち込んだのが始まりらしい。 新入生歓迎と称し、先輩が後輩に色々馬鹿なこと、をやらせて楽しむのだ。一種の順位付け、サルのマウンティングのようなものであろう。日本人が昔から得意としてきた分野だ。 始めの頃は、命令されたことができなければ、十メートルの高さからプールに突き落とされたというからなかなかダイナミックである。どうせならわにでも話しておいたらもっと面白かった。 ソータス《年功序列、規律、伝統、協力、思いやり》を略したものだそうだ。礼儀を通してこれらを学ぼうという、狙いはよいとしても、こういったものは往々にして本来の趣旨から大きく離れて行きがちなものである。 ソンクラーンを見ればいい。昔は小さな器で優しく水を掛け合ったのが、だんだんエスカレートして、今では見ず知らずの人の顔にバケツで水を叩きつけ、それでも飽き足らずバケツの中に氷まで入れる始末である。 無論タイ人の人たちの中にもソータスを忌々しく思っている人は少なくない。最近は廃止意見も多くなっている。 しかし、意固地に維持を望むものが声を荒げて反対するので、未だに廃止しきれないでいる。 彼らの主張は、ソータスのようないい伝統を絶やしてはならない。儀式を通し、先輩と後輩が打ち解け、学び舎の気風に早く親しむことができる。 新入生はこれで協力しあうことを知り、責任感が向上するのだ」というものである。 こんなことで団結力がたかまったり責任感が向上するわけが無いし、方法は他に幾らでもある。 ソータスでないとならない理由はない。それまで無くても別に困りはしなかったのだから。 結局、彼らの主張を分かりやすく訳せば、「じぶんたちがやられたのにやりかえさないのは不公平だし、面白いからやめるわけにはいかん」ということであろう。 ラヨーンである大学がソータス合宿を行った。上級生は新入生に命じ、荒れている海の中を沖へむかって歩かせた。胸の辺りに達した時、突然やってきた大波にのまれ、六人死んだ。 タイの人たちは泳ぐ習慣がないのでカナヅチが多いのだ。 上級生たちは反省するどころか、大物の知り合いだと息巻く宿の親父とともに取材に来たテレビ局のスタッフを取り囲み、脅して撮影済みのテープを巻き上げた。 警察の事情聴取に対しても、互いに責任の所在をぼかし、あくまでも言い逃れた。なくなったものたちが哀れである。 ソータスは当分なくなりそうも無い。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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