テーマ:今日のこと★☆(105697)
カテゴリ:教会
2008/04/12 sabato
関白が、会社を辞めると言ったとき、家族がみんな彼に訊いたことは、 「それで、何するの?」 そして、その答は、 「教会に行く」 何しろ、今の教区長になってから、殆ど行ってないのです。 クリスマスに辛うじて、修道院のミサに行っていたのですが、昨年は、 子供の教会学校の都合で、私とnon母子が、早い時間の教会のミサに出てしまったので、 修道院に方に行かなかったのが、ちょっと不満だったようです。 私達が行かなくても、行きたかったら、1人で行けばいいと思うのですがね~ 一事が万事、こういうところが、私としては頭の痛いことなのです。 さて、その修道院でのクリスマスミサをあげる司教が、今日午後、私達の教会で、 講演をする、というので、とうとう教会に行くことになりました。 この司教のお話は、今の社会情勢に合わせてお話しなさるので、とても分かり易いのです。 その上、私達一般信徒に優しく、同業者には躊躇わず厳しい批判をします。 そんなところも、私達のいいにくいことを代弁をして下さってるような気がして、 人気があるのです。 でも、批判されてる、聖職者にも人気なのですから、不思議なものです。 今日の話の中では、教会という言葉は、ギリシア語のエクレジアを訳した物だけれども、 意味が誤解されてしまっているということを、訳語の歴史などから説明されました。 日本での初期の訳では「よりあいやど」とか「集会」とされてたそうです。 どうやら、そちらの方が、ホントの意味を表しているようなのです。 また、イタリア語やスペイン語では、エクレジアを語源にしているけれど、 英語のchurchでは、建物を指すようになってしまっているそうです。 そういえば、イタリア語ではキエザchiesaともバジリカbasilicaともいうことがあります。 確かにバジリカは、特にキリスト教に関係のない、 中世の市民集会場みたいな所のこともいいますから、使い分けが出来ているのでしょう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年04月17日 00時08分06秒
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