|
カテゴリ:わたしのこと・つぶやき
少し前になりますが、お仕事がらみで「平和」の学習会に行きました。
そこで、あの日、広島で、体内被曝(お母様のお腹にいるときに被爆)された方のお話を聴き その後、少し言葉をかわすことができました。 以前は、いつも悩まれていたそうです。 「実際のあの日の記憶がほとんどない私が、体験としてこれを話していいものか」 でも、そんな記憶もない、あの日にこの世に生も受けていなかったあなたが被爆者になってしまう・・ そんな不条理をつたえてくれればいいの。 「そう言ってもらえて、ああ話してもいいんだと思うようになりました」 声も細い小さな上品なその方は、そう言いました。 自分や姉が原爆症で苦しんだり、いわれのない差別を受けたときに その方はお父様に聞いたそうです。 「どうして大人のおこした戦争で子どもが苦しまなくてはいけないの?」 お父様は苦しげにひと言だけ・・ 「その時はそう教育されていて、悪いことと思わなかった」 聴いていて涙がこぼれた。 つらいのはその方々で、その方が涙をこらえて話してくださっているのに 私が泣いてはダメ。 でも、その情景がうかんできて こらえられなくなって落涙しました。 こんな場に居合わせたことを思うと 以前に言われた 「今日の聴き手は明日の語り手」という言葉をかみしめます。 聴いたからには伝えなくては 人の想いを伝えるのは難しいけれど これが聴き手の為すべきこと。 今年も、6日と9日がやってきました。 まずは、家に帰って家族に伝えましょうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|