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カテゴリ:わたしのこと・つぶやき
子どもの頃の「なんにでもなれる」から
自分の実力を知って その差に悩み 「なんにでもなれる」と「ホントはそれほどでもない自分」の間を行ったり来たりしながら だんだんと中間におちついてくるのを 思春期の葛藤というのなら 娘はいま、遅い思春期だ。 そして、私もそうだ。 私の娘はすごい子なのよ・・って信じて疑わなかった。 娘ができないと言っても 「大丈夫、できるよ」「そんなことないよ」と言い続けた。 自分の子が凡庸な子だと思いたくなかったのね。 私の産んだ子はすばらしいと思いたかったのね。 私の作品はすごいでしょ・・って自慢したかったのね。 そして、子どもは「できない」を否定し続けられて ホントの自分はもっとできるんだから、今じゃダメだ。 今の自分はホントの自分じゃないって・・苦しくなったのかな。 乱暴な言い方だけど(根底に愛があること前提) 娘を「たいしたことないな」「こんなもんだろうな」と思えたら 娘も気楽に自分の分相応な人生を生きていけたのかな。 あなたは、私から生まれたにしてはかわいいよ・・とか。 ある程度の理解力はあるよ・・とか。(根底に愛があること大前提) 母の期待は天井知らず。 娘の現実を受けいれるのは私のつとめ。 でも、期待するよなあ。 愛情で目は曇るよなあ。 それもしかたない。 いけなかったのは、それを娘に背負わせたこと。 もう、これもたなくていいよ・・って伝えよう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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