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カテゴリ:暮らし
今でもフッと思い出す。
今年の四月に、友人の一人が亡くなってしまった。 一人暮らしで、多分孤独死だったのだろう。別の友人から訃報を受け取る10日ほど前には僕は電話でしゃべっていて、今度遊びに行きます、など軽口を叩いてしゃべっていたから、亡くなっているなどとは考えもしなかった。 今年の四月といえば僕は入院していてなんにせよすぐには行動がとれず、亡くなってしまうほど調子が悪かったのも電話口では感じ取れなかった。 あの時、一度でも遊びに行っていれば、具合の悪さを眼で見て無理やりにでも救急車に乗せてでも病院に連れていけたかも知れない。 だから、今でもそのことをフッと思い出す。 確かにその友人は自分で自分の体を悪くするような生活をしていて、なお一人暮らしだから止める人もいなかった。 でも人間、そう簡単には死なない、と思っていたから、まさか死ぬほど健康状態が悪くなっているとは思いもよらなかった。 あの時、ああすればもっと・・・なんと手の届かないことか・・・。 悪人でもなんでもない人がなぜ孤独死しなければならないのか。 乱脈な生活で死ぬべくして死んだといえばそうかも知れない。 僕はあえて理由は聞かない事にしていたのだけれど。 人の心の闇には他人には手が届かないものだから。 僕はといえば、同じく乱脈な生活を続けていて、いまだ自分の闇に囚われている。 でもそんなもの、人に話したところでどうなるものでもなし、現実は絶対に変わらない。 確かに奇跡、みたいな物が起こる可能性も無いではないけれど、そんなものに期待して生きるのは限りなくゼロに近いものに期待して生きるのと同じで、愚かなことだと思っている。 ここ数日、実は調子が悪くて近くの内科で点滴受けたりしながらなんとか仕事をこなしているのだけれど、すさまじく自己嫌悪に陥っている。 入院してしまえばそれまでで、何も考えずに寝ていればいいのだけれど、色々あって今は入院するわけには行かないのが現実。 そんな中、友人の事を思い出したり、あの時自分が出来なかったことを考えたりしてなんだかね、心が尚乱れている。 でも明日は勝手にやってきやがる。 自分が思う最高の時、ああ死んでもいいや、って思う時幕を閉じれればどれほどいいだろう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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