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カテゴリ:ふと思ったこと
>お金の要る社会がお金のない社会に変わったら? 言葉も風習も変わることはありません。 生き方や考え方の意識改革が必要になります。 どのように変えなければいけないか? わかりますか? >誰もが一度は考えたこと。 「自分はなぜ生まれてきたんだ?」って。 答えは簡単です。 「あなたは必要だから生まれたのです」 あなたの体の中の細胞が 「自分はなぜ細胞として生まれてきたんですか?」 とあなたに質問をしたら? あなたはどう答えてあげますか? >見返りを求めないことがボランティアなら? 「感謝の言葉」さえ求めないってことです。 「してあげる」という気持ちがあれば 「感謝の言葉」を求めることが多いです。 「させていただく」と思えば 「ありがとうございます」と言えるんですね。 >たとえ叱られても 「叱ってくれてありがとうございます」って 思えるんです。 お金のない社会はボランティアの社会です。 感謝に満ち溢れた社会です。 「ありがとうございます」は「愛の言葉」です。 >だから 一つの本で確信を持つことは危険だし 一人の意見で確信を持つことも危険。 そう思う。 だから 僕の話も参考にしか過ぎません。(笑) >「今」を 過去を継続するために使うか? 未来を新化するために使うか? 人間って困らないと腰が上がらない。(笑) >だから 敵は作ってはいけないんです。 たとえ意見が違っても。 「全体のため」という共通認識さえあれば 互いを認めあうことが大切なんだと思う。 体の中の臓器のように。 お金のない社会は共生社会です。 助け合いの社会なんです。 まるで体の中のように。 >「一人じゃないことを実感するんだよ」 「自分一人でいても?」 「そうだよ」 「じゃあ寂しくないんだね」 「自分の中のもう一人の自分は すべての存在とつながっているんだよ」 >「百聞は一見に如かず」とは? 百回聞いても一度見た人には叶わないと言うこと。 そして 「百見は一体験に如かず」とは? 百回見ても一度体験した人には叶わないと言うこと。 >自然と共に生きるって 思い通りにならないことを覚悟しなければ。 それが楽しいのかもしれませんね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022年12月12日 00時00分21秒
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