カテゴリ:カテゴリ未分類
自分が幸せなときや問題があってもそれが自分の糧となるとき、生きていることが苦ではない。そしてたった一度きりの人生なんだからと思えるし、ものすごく命が大切に思える。
自分を見失ったときにはどうしても、命というものがわからない。どうして生きているのか、そしてそれがどうして大切なのか。生きるということはいったいどういうことなのかそれはきっと今のこの頭では理解できないからわからないんだと思う。そしてきっと死んだときにもしかしたらわかるのかもしれないと思うと死んで見たくなる。 なにかの話で死後の世界があるかないかという賭けの話しなんだが、ある方にかけた人が絶対に勝つではないが、結果が良いみたいな。もしも死後の世界がなかったら死んだ後の世界がないから賭けもなかったことになってしまうというおちだったのですが、死後の世界についてはいろいろな本でいろいろなことが書いてあるがこればっかりは死んでみないとわからない。 死後の世界はこの世界の延長だから死んだところで解決しないし、自殺だとさらに苦しみが待っていると聞いた所でそれが本当かどうかもわからない。 生きているからこそ苦しいことも幸せも感じることができる。そしてそれがすごく幸せなことなんだとある意味思う。だから幽霊は生きている人の身体がほしくて憑依するくらいだからやっぱり身体があるということにはなにか深い意味があるのでしょう。 ただそんなこともどうでもいいくらい死にたくなることもある。 暖かいところで寝れて、ご飯も食べれてこんな幸せなことはない、世界をみてごらんと、病気の人をみてごらんと言うが、生きたくても生きれない人がいるんだというが、死にたくても死ねない人もいるんだよ。 どんなに幸せなことであろうとそれは、幸せなところにいるからそう見えるんだと思う。見た目がどんなに幸せであってもそれを感じる心がないと無意味なようにも思える。 外見だけじゃわからないよ。できれば心が傷ついて苦しむよりも身体が傷ついて苦しみたかった。そしたら他の人にもわかってもらえるから。どんなに心がぐちゃぐちゃに傷ついていてもそれをわかってもらえない。それがつらい。 そして自分でもそれがどこまで傷ついているのかみえないのはつらい。 生きるということそれは一人一人の生きていく上での課題なんだと思う。 今はなんとか死のうと思う自分を「いや待ってくれ」といえる自分がいるが、その自分がいついなくなるんだろうかと思うと不安にもなる。 環境によっても生き方、考え方は変わってくると思う。 生きているということ、産まれてきたことについては一生の課題として取り組むしかないんだろうな。 今はまだ生きてます。 そして生きていて良かったとまだ思えています。それは幸せなのかな? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|
|