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テーマ:大分&熊本 観光地紹介(830)
カテゴリ:熊本県散策
1868年に明治新政府が発足し、翌年には戊辰戦争が終わりました。武士の時代に終わりを告げ、ここから近代日本の歴史が始まります。しかし、徴兵令は武士による軍事力の独占を否定し、それによって身分的特権を失った士族は、生活も窮迫し、その不満を明治政府に向け始めました。
征韓論に敗れ、不満を抱く佐賀の士族らが江藤新平を擁して兵を挙げた佐賀の乱を皮切りに、全国各地で不平士族たちの反乱が起きました。 一方、征韓論に敗れて下野した西郷隆盛は、鹿児島に帰郷して私学校を開きましたが、1877年2月に不平士族に擁されて兵を挙げました。これがかの有名な西南戦争です。この内乱は9月に鎮圧されましたが、これを機に政府の軍事力の優勢が立証され、これ以後は武力ではなく、言論と組織による反政府運動へと転換しました。 歴史のお勉強でした…。私、一応中学・高校の社会科教諭免許、学芸員資格、おまけに小学校教諭免許保持者なんです…。持ってるだけなんですけどね。それはどうでもいいとして、本題、本題。 さて、その西南戦争ですが、九州各地には「西南戦争激戦の地」と紹介された場所がたくさんあります。西南戦争はもちろん、主な不平士族の乱は九州で起こりました。地元の岡城の天守閣も砲弾を浴びて、今も竹田市歴史資料館にその天守閣が展示されています。 西南戦争の終焉の地となったのは、かの有名な田原坂です。田原坂は熊本県植木町にあります。昔、里見浩太郎さんが西郷隆盛を演じた「田原坂」というドラマがありましたが、それを見て以来一度行ってみたかった場所です。3年程前、ようやく訪れる機会がありました。 友人と車で田原坂を登りましたが、ここがかつての激戦地区かと思うくらい普通の道路でした。霊感のある人には兵隊さんの霊が見えたり、行進する音が聞こえるらしいのですが、幸いにも私にはそんな能力はありません。よかった~。 田原坂公園内には数々の慰霊碑や、政府軍、反政府軍の両方亡くなった方の名前が記されている記念碑もありました。また、模型で当時の地形の様子、両軍の砦や戦路などを知ることができます。 慰霊碑のひとつ。美少年の像。 当時の砲弾の痕が残る「弾痕の家」。 公園内には植木町田原坂資料館があり、戦争の様子を錦絵で描いたもの、服や武器、両軍の主要人物の写真などの展示を見ることができます。あまり大きな資料館ではありませんが、何よりもここで国の政策に影響を与え、多くの方が亡くなっていったということにいろんな思いが交差しました。 近くには官軍墓地もありますが、時間の都合で残念ながら行くことができませんでした。またいつか、この田原坂とあわせて行こうと思っています。ただ、霊は見えなくても一人では怖いので、誰か一緒に行ってください!できれば霊感のない人がいいです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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