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2006年05月27日
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カテゴリ:大分・竹田市散策
歴史の道めぐり・その2(おっ、なんだか続きそう…)

竹田市殿町の武家屋敷裏手に竹やぶがありますが、そこは江戸時代にキリシタン洞窟礼拝堂がありました。現在は昭和33年に県指定史跡として保護されています。

2006_05060075.JPG

これは14世紀頃のローマの洞窟礼拝堂に似ており、洞窟礼拝堂としては世界でも珍しく、全国でも例に見られないそうです。凝灰岩をくりぬいてドーム型に造られています。ドームの天井の高さは3.5メートルあり、祭壇は土色で彩色され、石窟も残っています。

これは神父たちの住居跡。
2006_05060076.JPG

キリシタン禁教令後に、神父のペトロ・パウナ・ナバルとフランシスコ・プルドリノの2人がここに隠れて布教していました。弾圧が厳しかった江戸時代でさえ竹田には15000人の信者がいたといわれています。大分市の府内城の城主だった大友宗麟公はキリシタン大名として有名です。だからキリスト教が武士から庶民に普及してもおかしくない時代です。おまけに禁教令前後は秀吉による朝鮮出兵、関ヶ原の戦いなどで藩も取り締まる間がなく、岡藩中川2代藩主の時代になりようやく取り締まりが本格化されたという話も聞きました。

神父たちの使っていた井戸。
2006_05060079.JPG

不思議なのは、この洞窟礼拝堂があるのはお城の真下です。しかも、武家屋敷の裏側にあります。高校時代、日本史の先生がこんなお城の真下に礼拝堂があったものか疑問に思うとよくおっしゃっていました。しかし、キリスト教を擁護したのは大友宗麟、武士の間に信仰があったとしてもおかしくはないかなって今になって思います。それに「灯台下暗し」。お城の真下だからこそ、武家屋敷の裏だからこそ、だれも疑いを持つことがなかったのでしょうね。この話をイギリス人の友人に話したら、
「目先のことほど人は気付かないものだ」
と同じようなことを言っていました。

洞窟礼拝堂の向かいには小さな神社がありますが、これは礼拝堂へ行くためのカモフラージュに使われたのではないのかしら?なんてかってな想像をしてしまいました。ありえる話だと思いませんか?

これがその神社。猫ちゃんがお昼寝していました。
2006_05060080.JPG

毎年12月24日のクリスマスイブには、殉教者の霊を慰めるミサが行われています。それには行ったことがありません。竹楽の時には竹灯篭が飾られます。画像はこちら





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最終更新日  2006年05月27日 15時30分10秒
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