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2006年07月16日
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前日の真名野長者伝説につづいて、今回は娘の般若姫の物語を紹介します。

真名野長者と玉津姫の間には般若姫という美しい娘が生まれました。それは美しい娘で、その噂は遠い都にまできこえるようになりました。

欽明天皇の皇子で、ときの皇太子橘豊日宮(たちばなのとよひのみや)は般若姫を后にするため三重郷に勅使を送ってきました。きました。一人娘であるし、真名野長者は
「般若姫は内山観音の申し子である」
と最初は断りました。

しかし、姿を変えて奉公人として長者の家の下働きをし、働き者の奉公人を気に入った長者は身分を隠した皇太子を般若姫の婿にすることにしました。しかし、ある日勅使が都からやってきて、皇太子は身分を明かしました。長者は驚きましたが、般若姫はすでに身ごもっていたのです。

皇子は都に帰って用明天皇となりました。般若姫は天皇のあとをしたって都に上ろうとしましたが、途中嵐のため瀬戸内海の周防で船が沈み帰らぬ人となりました。19才の短い命でした。山口県平尾町には般若姫を祀った般若寺があります。

般若姫の死を知った長者は嘆き悲しみました。そんなある日、長者は蓮城法師から、天竺にあるという祇園精舎の話を聞きました、
「人の命は、かぎりあるもの。できることなら、精舎のすがたを豊後の地にうつし、般若姫の供養もしたい」
こう考えた長者は、石の仏のすがたを彫りあげようと願いました。そこで、今の臼杵市深田の里に満月寺が造られ、岸壁に仏の姿が刻まれていきました。これが今、、臼杵市の名高い石仏群だといわれています。

真名野長者は、97歳で、玉津姫は91歳ででこの世を去ったそうです。。二人のお墓は内山観音にあり(前回写真を紹介)、二人の像といわれるものが、臼杵石仏の近くに残されています。

さて、三重町にそびえ立つ、般若姫の像に会いに行ってきました。これがとても大きいんです。三重町から佐伯市宇目町や宮崎県へ向かうとき、小高い杉山から大きな姫の像が見えます。ちょっと不気味でもあるし、物語を知るまではあれは何なんだって感じで…。連城寺からその像の場所まで行くことができました。

これが般若姫の像。見上げてしまいます。
2006_07030092.JPG

両脇に真名野長者と玉津姫の像がありますが、これが普通の人間のサイズだと思ってください。

2006_07030094.JPG 2006_07030093.JPG

この丘の上に行くまで、たくさんの小さな石像が並んでいます。
2006_07030105.JPG 2006_07030108.JPG

蓮城寺の奥の院には、長者堂があり、そこには一寸八分観音が安置されています。内山観音の申し子といわれた般若姫、その観音像はまもり本尊であるといわれています。毎年1月10日頃が御開帳の日だとか。ちょっとうろ覚えになっています。

黄金橋と長者堂。
2006_07030064.JPG

大分県北部に浮かぶ姫島村は、般若姫が寄港したことからその名前が付いたともいわれています。





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最終更新日  2006年07月16日 18時53分28秒
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