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カテゴリ:どーでもいー話
テレビをあまり見ない私、この秋は世界バレーをはじめ、けっこう見ています。夜のドラマなんて普段は見ないのに、「僕の歩く道」と「のだめカンタービレ」は欠かさず見ています。NHKの朝の連続テレビ小説はどのシリーズも見ているし、昼のどろどろドラマも見ることが多いです。主婦か、私は?
今やっている朝ドラの「芋たこなんきん」、なかなか渋いです。ヒロインは若いとはいえない藤山直美さんだし、淡々としていて脇を固める俳優陣も渋い。けっこう好きですね~。特に、主人公の町子さんの少女時代の回想シーンが大好きです。 今朝も町子さんの回想シーンがありましたが、時代は違えども自分の子どもの頃のことを思い出してしまいました。 小学生の町子、算数のテストで42点のいいとはいえない点数をとりました。しかも、全員のテスト用紙が回覧板でクラス全員の家族に回されるんですね。これは昭和10年代のお話です。今こんなことを学校がやったら、大問題ですものね。 お母さんの反応が怖くて、テストが返ってきたことも、点数が悪かったことも、回覧板がもう回っていることも言い出すことができません。しかし、回覧板は回ってきて、お母さんの目に触れることになります。 お母さんはテストの成績よりも、「テストがまだ返ってきていない」「回覧板はまだ回っていない」と町子が嘘をついたことを激しく叱ります。お父さんは階段の下で心配そうにしているけど、足腰の悪い曾おばあちゃんが階段を上って町子をかばいに行くんです。いっしょに涙を流して、お母さんに「もうしないから許してあげて」と訴えるんですね。 私はそんな町子さんがうらやましかったです。 祖父の実家(祖父は婿養子でした)は代々菅原道真の御神体を守ってきた一家で、そのおかげか賢い人が多かったんです。小さい頃から読書が好きで、保育園の誰よりも早く字が読めるようになり、保育園で友だちに絵本の読み聞かせをしていたそうです。そうなると、保母さんを始め、周りは「この子は賢い」と勘違いだし、発表会も無条件でヒロインに抜擢なんてされていました。 しかし、私は普通の子なんです。長女だし、周りの期待も大きかったのですが、町子と同様に算数の苦手な子だったんです。中学でもどんなに頑張っても10番以内に入るのがやっとでした。大嫌いな数学と理科が足を「えいっ、えいっ!」って引っ張っていたんですね。文系の3教科だけだったら、余裕で3番以内に入れたはずなんです。 成績の悪かったとき、もうこれでもかってくらい叱られましたね。テスト前になると胃が痛くなるくらい。テストのときは家に帰ってすぐ寝て、2時に起きて朝まで勉強してそのまま学校に行っていましたもの。テストが返されるまでがもう恐怖でした。 町子と同様に、テストが返ってきたことは黙っていました。で、成績表を渡すときの恐怖。上がっているときは誉められても、順位が変わらない、落ちたときはそれは頭ごなしに叱られていました。それも両親そろってですよ。誰もかばってくれませんでしたね~。だから、高校も進学校じゃなくて商業高校へ行きたかったけど、それも許してもらえず、おかげで高校時代は根暗で、勉強も嫌いで、神経性胃炎に悩んだつまらない3年間でした。 まあいろんな経験を積んで、今のような「俺様」のような私になっちゃったんですけどね。今では私が両親に小言を言う立場となっちゃいました(笑い)。 「chikiは本当にうるさい、細かい、お母さんをいじめる(もちろん冗談ですよ)」 って母にこぼされますものね。 あんなに怒られ侍で、私、よくグレなかったな~(笑)。今朝は心配してくれるお父さん、いっしょに泣いてくれるおばあちゃん、正直ちょっとうらやましいなって思いました。だから、あんなふうに子どもの頃の家族のことを鮮明に思い出せるのかな(ドラマだけど)。私は家族の思い出なんて、ほとんど思い出せません。ちょっと恐怖だったので…。友だちと遅くまで遊びまわった記憶ばかり。 あ、別に両親を嫌いだとか、うらんでいるとかじゃないですよ。浪人して大学まで出していただいて、感謝していますから。高3の頃、本命大学に落ちてすべり止めに行きたくないけど行くしかないって覚悟していた私に、 「もう1年頑張ってみろ」 って言ってくれたのは両親ですからね。今も両親の家でお世話になっている身分ですし。 ただ、私が親になることがあっても、勉強のことでガーガー言いたくはないです。普通でいいんです、普通で。人をいじめたりせず、思いやりの気持ちがあれば。…って、ものすごい教育ママになったりしてね(笑) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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