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カテゴリ:海外の旅
昨年の1月2日の日記で、ニュージーランドでのお正月について書きました。ってことで、今年はアイルランドはダブリンでの懐かしのお正月のことを書きます。これは、私が今まででいちばん思い出に残る、最高で最悪のニューイヤーの思い出です…。
私が友人のニーブを頼ってアイルランドのダブリンを訪れたのは2000年の12月下旬でした。その年はヨーロッパに大寒波襲来で、12月に滅多に雪の降らないダブリンにも雪が降ったのでした。おかげで、西部のゴールウェイを旅する予定も大雪でパー。暇な私は1人で南部のコークまで電車で2泊の小旅行をしました。 コークからダブリンに戻ったのは12月31日の昼ぐらいでした。本当は夜に帰るつもりだったけど、その日のコークは大嵐で、電車が動かなかったら困るので早朝に出発。コークの駅からニーブに電話をしたのですが、朝が早いせいか電話に応じず。ダブリンに着いて再び電話、でも応答はありませんでした。 そこで留守電にメッセージを残し、ヒューストン駅からダート(ダブリンの私鉄みたいなもの)の駅まで歩き、ニーブの家のある駅まで帰り着きました。ここで電話をかけようとしたのですが、電話は故障中。何とか記憶を頼りにニーブの家に歩いて行こうとしましたが、見事に迷いました。外は暗くなるし、雨は降るし、もう私はボロボロ。駅に戻って警察に行こうと決心したところに、公衆電話を発見!今度はニーブが出ました。心配していた様子で、すぐに迎えにきてくれました。前日、酔いたくれてずっと眠っていたそうです。コノヤロ! ちょっとニーブの家で一休みをして、それからニーブの親友のネサの家に行きました。ネサのお父さんは建築家でちょっとリッチ。高台の家には親戚や近所の人たちが集まり、ワインを飲み飲み、談話をしながら新年を待ちました。その間、日本からの来客を珍しがるアイリッシュの老人(?)たちに、恐ろしいほどのアイリッシュ訛りの英語で話しかけられたじたじ。「荒城の月」まで歌わされ、ネサの友人レベッカのフランス人の夫もフランスの歌を歌わされていました。 そして2001年の1月1日となりました。21世紀最初のニューイヤーです。12時になると同時に、ラジオからアイリッシュの伝統の明るい音楽が流れ始め、老若男女が一斉に立ち、リバーダンスを踊り始めました。見とれましたよ、本当に素敵でした。レベッカがいっしょに踊ろうと私の手を取りました。 「アイルランド人にとって、踊ることは生きること」 だと、レベッカが話してくれました。高台の家からは、市内で打ち上げられている花火も見えました。 そして、ネサが思わぬプレゼントをくれました。それはアイルランド伝統の指輪、クラダリング。私はこの指輪を旅行中に買おうと持っていたのですが、ネサが2つ持っているからと私にくれたのです。うれしかったのですが、私には右手の中指でもブカブカなくらい大きかったです。でも、今も大事にしています。その晩はニーブとネサの家に泊まりました。 翌日、起きてみるとお昼の2時!家にはネサ以外誰もいませんでした。その後はニーブといっしょに、ニーブの両親宅でニューイヤーのお食事でした。優しいお父さんにしっかり者のお母さん、2人の弟たちに3人の妹たちの大家族です。おいしいアイルランド料理に、お母さんの手作りの2種類のケーキ、本当においしかったです。 私は記憶力がいいほうなので(自分で言っているけど…)、まだまだ旅の細かいことを覚えています。フリーページには簡単にこの旅のことを書いていますが、いつか最高のアイルランドの思い出話をじっくり書いてみたいです。たぶん楽天ブログ以外のところにね~(お話がダブらないように)。 ニーブとかなり連絡を取っていないけど、アイルランドはまた、必ず行きたい国のひとつです。本当に美しい国でした。 クラダリングのゴールドをいただきました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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