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テーマ:大分&熊本 観光地紹介(837)
カテゴリ:熊本県散策
久々の熊本城ネタです。最近行っていないのですけど、今読んでいる本の中に熊本城内にある不思議な石について書かれている文があり、私も前回訪れたときにその石に興味を持ち、写真を撮っていたのでこれは紹介するにはタイミングがいいじゃないの~♪と思ったわけです、はい。
その石というのがこれです。 なんだかおもしろい形をしているでしょう?この月見櫓(やぐら)跡にある大石は「横手五郎の首掛け石」と呼ばれており、築城(1607年)の際に怪力の大男だったといわれる横見五郎が、なんと首に掛けて運んだと伝えられているのだそうです。その重さは約1800kgだと伝えられています。そんな怪力男の横見五郎には悲劇の伝説が残されています。 さて、その悲劇の伝説とは…。 熊本城築城時、怪力自慢の横見五郎は築城の作業に従事していました。実は五郎の父親は、天草国一揆で城主の加藤清正に殺されており、敵討ちをしようと清正を狙っていました。しかし、その企みを清正は見破っていました。 そこで、清正は五郎に井戸掘りの任を与え、穴を掘っているときに大石を投げ込んで五郎を殺害しようとしました。しかし、五郎はそれらの石を受け止め、自分の尻の下に敷いていきました。投げ込まれた石で五郎は次第に上に上がってきました。おまけに井戸底まで上がっていきます。 あせった清正は、家臣に井戸に砂を投げ入れるように命令します。家臣はいっせいに砂を井戸に投げ込み、さすがの五郎も砂は受け取ることはできずに井戸の中でもがき苦しみました。そして砂が五郎を埋め尽くそうとしたとき、五郎は加藤家を末代まで祟るという怨念の言葉を叫びました。 その言葉どおりか、清正は急死し、嫡男が外様大名潰しに陥れられて自害、加藤家は改易となってしまいました。その後の城主はご存知の通り細川氏です。 伝説なので本当かどうかもわかりませんが、名君と謳われた加藤清正公も人に恨まれて亡くなったかと思うと、なんだかぞっとします。 参考本:日本怨霊紀行 宗優子 このブログで紹介した熊本城についての記事です →熊本を旅しよう・熊本城 今年は熊本城築城400年です。特別展示会やイベントもありそうなので、近々行ってみようかなって思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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