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テーマ:大分&熊本 観光地紹介(838)
カテゴリ:大分県散策
国東市国見町の国道沿いに、「ペトロ・カスイ・岐部神父記念公園」があります。仏教文化の栄えたこの半島で、日本人として初めてキリスト教徒の聖地であるエルサレムを訪れたキリシタン、それがペトロ・カスイ・岐部でした。
岐部は1587年、現在の国東市国見町岐部でキリスト教徒の両親の間に生まれました。12歳で有馬(現・長崎県南島原市)のセミナリヨに入学、1606年にイエズス会入会を志して「カスイ」と名乗りました。 しかしキリシタン追放令によって1614年、岐部はマカオに追放されました。そこで司祭になるべくラテン語と神学を生美ました。日本人への偏見から司祭になれないということを知った岐部や日本人神学生たちは、イエズス会本部のあるローマを目指しました。 マカオからマラッカ(マレーシア)、ゴア(インド)へ船で渡り、そこから陸路でペルシャを通ってヨーロッパに向かいました。ホルムズ(イラン)、バグダッド(イラク)を経て、日本人として初めてキリスト教の聖地であるエルサレムにたどり着きました。そしてマカオを出発して3年後の1620年にローマ入りを果たしたのです。 ローマでイエズス会の審査を受けた岐部は、司祭としてふさわしい適正と学識を認められ、司祭になることができました。ローマのイエズス会訓練所で2年間の養成を受け、リスボン(ポルトガル)で誓願を宣誓しました。そして1623年にイエズス会の会員と共にインドを目指す旅に出て、喜望峰(南アフリカ共和国)を回り、翌年ゴアにたどり着きました。 岐部は殉教覚悟で日本帰国を希望しましたが、日本ではキリスト教の弾圧が強化され、宣教師の入国は禁止されていました。岐部は日本へ戻る道を求めて東南アジア各国をまわり、1630年にようやくマニラから船に乗り、鹿児島にたどり着きました。その後も長崎から東北へ向かいながら信徒を励まし続けましたが、1639年に密告により逮捕、厳しい拷問にも屈せず、ついには江戸に送られて斬首されました。 日本人としてエルサレムの地を始めて踏んだだけではなく、世界中を旅してまわったのは岐部が初めてではないのでしょうか。彼の功績を偲んで、記念公園では毎月10月の第4日曜日に殉教祭が行われています。また、2006年5月7日、ローマ教皇庁列聖省神学審査部会は、岐部神父と日本における殉教者187名の列福(聖人の地位に上がること)について適当であるという答申を決定しました。その後、2007年2月には枢機卿会議でこの答申が了承され、6月2日に正式に列福が決定されました。聖人には速見郡日出町のキリスト教徒の父子も含まれいると、元旦の新聞で読みました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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