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テーマ:大分&熊本 観光地紹介(830)
カテゴリ:大分県散策
お久しぶりです。先週はとにかく忙しかったです。週末はなんかすごい雪で、家にずっと籠っていました。そうそう、本編に入る前に一つ…。もうすぐアクセスカウンターが「123456」になるんです。こんな並び数字、なかなか見られるもんじゃないよ~…ってことで、この「123456」を踏まれた方はご一報ください。ささやかなプレゼントをしたいと思います。ただし、ブログを通じてなど、私の知っている方のみとさせていただきますので、よろしく。この2~3日中だと思います。
さて本題。ここはどこでしょう。 これは、臼杵市にある臼杵城跡の大門櫓の復元です。臼杵城は戦国時代、キリシタン大名として有名な大友宗麟によって築かれました。臼杵湾に浮かぶ周囲4kmほどの丹生島に築かれた平山城(海城)で、宗麟は府内大友館(大分市)からこの臼杵城に本拠地を移しました。大友氏改易後は、城主に福原氏、太田氏を経て、関ヶ原の役後に郡上八幡より稲葉貞通が入城しました。以降、明治維新まで稲葉氏15代の居城となりました。 臼杵城は三層四階の天守と31基の櫓が上げられました。総二階の重箱と呼ばれる形状をした二重櫓が特徴でした。廃藩後は天守閣以下の建物は一部を残して取り壊され、周囲の海も埋め立てられました。今は公園として整備され、石垣、空堀が残ります。また二の丸に畳櫓、本丸に切妻造りの卯寅口門脇櫓が現存しています。海に浮かんだ城も今は臼杵の町の一部となってしまいました。 戦国時代、大友氏は九州六国をおさめる強大な勢力を持っていました。というのも、この臼杵城を基地としてポルトガルなどと活発に交易をし、鉄砲や火薬などの最新の武器を入手していたからです。当時の臼杵は異国情緒にあふれた街だったと、大友宗麟を主人公にした遠藤周作氏の著書「王の挽歌」に書かれていました。またわが国の実戦で使用された大砲は「国崩」と呼ばれ、島津軍が臼杵城に攻め寄せた際、大軍がその威力にたじろいだとか。結局、島津の手によって臼杵城は落城したのですけどね。 宗麟のレリ-フと大砲のレプリカ 春には桜が楽しめ、城跡の一部は運動公園となり、今は市民の憩いの場となっています。ただ、宗麟がいた当時のエキゾチックな臼杵の町並は、タイムマシンがあったら絶対に見てみたいです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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