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2008年03月09日
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カテゴリ:大分県散策
特攻隊の基地といえば鹿児島県知覧町が有名ですが、大分県の宇佐市にも第2次世界大戦中、特攻隊員として150名以上の若者が南の空に飛び立っていった掩体壕が今でも残っています。

掩体壕は1939年に宇佐海軍航空隊が開隊し、軍用機を敵の攻撃から守るための施設でした。土をドーム状に盛り表面に芝を植え、内側をくりぬきコンクリートで固められました。上空からは小山にしか見えないように工夫されていました。米軍の攻撃を受けるようになった昭和20年には特攻隊の基地となりました。このため、基地施設がアメリカ軍による激しい空爆で、付近一帯は大きな被害を受けました。この田園への空襲は「畑田大空襲」と呼ばれました。

当時、地元の人々の勤労奉仕で約60基の掩体壕が造られましたが、現在は約10基が当時のままの姿で残っています。その中の1基、城井1号掩体壕は1995年に市指定史跡となりました。これは第2次世界大戦の遺構としては全国2番目の史跡指定です。1997年に史跡公園として整備されています。城井1号掩体壕の内部には、国東沖から引き上げられた零戦のエンジンとプロペラの残骸が置かれ、戦争の悲惨さを物語っています。

壕の中から。
entaigo.jpg

また、掩体壕付近の道路とほぼ同じ位置に、長さ1800m、幅80mの滑走路がありました。壕の脇と道路沿いにはたくさんの鎮魂碑が並んでいます。公園内の鎮魂碑には追悼の俳句が刻み込まれています。

ここは何年か前、歌手の一青窈さんが大分県にコンサートツアーに来た際に訪れ、備え付けのノートにメッセージを書かれました。しかし、心ないファンに一破り取られてしまったことで一躍有名になったという場所です。





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最終更新日  2008年03月09日 21時33分36秒
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