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カテゴリ:お母さんの物思い・・・
今日は1号の11歳のお誕生日です。
「誕生日プレゼントは何が欲しいの?」 と聞くと 「いらない。だってサンタさんに貰いたい物がなくなるから」 だそうです。 サンタさん? 「そんなの先じゃん」そう思ったのですが 昨日発達センターの言語訓練に行ったら エントランスにクリスマスツリーが飾ってありました ふと11年前の朝を思い出した 兄は、くも膜下出血で倒れ二年間の休職を経て 社会復帰を果たして五ヶ月が過ぎたばかり 父も肉腫治療の副作用で体調が悪く入院中 母も入院を言い渡されたものの入院拒否 「通いで点滴で頑張る」と言い張るので 仕方なく主人と実家に泊まった翌朝だった。 朝食の仕度をしようと起き上がった途端 破水 主人と慌てて産婦人科に行ったけど 看護婦さんはなにやら検査して「破水じゃないよ」 結局実家に帰るもののずっとお腹がしくしくしていた 昼からはずっとこたつに入っていた でもしくしくしていた おかしいな~とは思いつつ寝ていた ふと時計を見る よくかんがえるとこの一時間、十分おきにお腹がしくしくしてるな~ 再度病院に電話すると 「すぐ入院の準備を持って、きてください」 今思えば陣痛の痛みに耐えながらタクシーに乗った 病院に着くと 助産婦さんが、「何でもっと速く病院に来なかったの! 生まなきゃしょうがないじゃない!」 「朝一番で病院に来たのに看護婦さんに帰されました!」 そこからは、必死でした 早産(9ヶ月)で未熟児(2000g)で生まれた1号は 生まれてすぐ私と違う病院に転送されてしまった。 主人が撮ってきてくれたビデオ (保育器の中の小さな赤ちゃん)ばかり見ていた。 退院後主人の母にお世話になりながら 毎日おっぱいを絞っては冷凍し1号の入院している病院に届けた 「赤ちゃんね、もうすぐ保育器から出れるよ」 そんな会話を父と電話したのが11月30日 その翌日両目が見えなくなった父 「私には知らせるな」と父 はじめて自分の腕に抱いて母乳を吸わせる訓練をしたのが 父の目が見えなくなった、同じ12月1日 退院は12月11日 25日間の入院を経て やっと2500gを超えた1号ちゃんを抱いてNICUを出ると 外にはクリスマスツリーが輝いていた とりあえず赤飯を炊きました。 「夜はケーキだけでいい」と言います。 1号も言葉の少ないのでひっかかり 「発達センターに通いだしたのが二歳」 その後3号がすっかりお世話になった。 (発達センター十周年 我が家もそれに近いほど通っている) その3号をとても気遣う1号 欲のない1号 天使のような1号(親ばか) クリスマスツリーに願いをこめて 「これからも頑張れ!1号!!」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007.09.30 19:25:27
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