いきなりなのだけど、私は2日前くらいからとても不機嫌だ。
ということで、今日の日記はグチになります。
嫌な人はスルーしてくださいな。
まず、去る土曜日の夜にある親友(とその彼氏)と喧嘩をした。
喧嘩とは言えないかもしれないけど、とても気まずい状況になったのは確かだ。
このことは説明すると、とても長くなるし、彼女はこのブログを知っている
数少ない(もしかして彼女だけかもしれない)日本語が読めるお友達なので、
詳しくは書けない、というよりは書きたくない。
まだ私はこのことを考えると、infuriating(腹正しい)という単語が
真っ先に思い浮かんでくるので、私がもうちょっと(というか、もっと)冷静になるまでは、
彼女と話し合ったり、彼女にメールしたりするのはやめようと思う。
そして、なんと昨日、彼氏とも大喧嘩した。
我がカップルはあまり我慢ができない二人なので、くだらない喧嘩はけっこう多い。
でも、昨日のはお互いの感情表現がちょっと異常であった。
私がちょっとしたことを(彼氏いわく、かなり)強い口調で注意をしたら、
彼氏が怒ってしまったのだ。
まあ、彼氏は前日からいろいろグチを聞かされて、私が泣いたり怒ったりするのを
なだめてばかりだったので、怒っても無理はないと思う。
でも、うちの彼氏は、ちょっとした「気遣い」をすることがとても苦手なのだ。
昨日の夜の私が怒った「ちょっとしたこと」も、彼の気遣いのなさが理由だった。
私は日本人で彼氏はアメリカ人だから、と言ってしまえば、一言で片付いてしまうのだけど、
やっぱり毎日一緒にいると、繰り返し「気遣い」にかけたことをされるとイライラする。
たとえば、親友と喧嘩する前の土曜の午後は、
私が充電していた携帯電話の充電器をコンセントから引っこ抜いて、
自分の携帯電話を充電するために、自分の充電器を差し込んでいることに気づいた。
これは、前の夜に自分の携帯の電源が切れそうだったのに、
友達と宿題を一緒にする約束をしていて、何回も連絡しなければならなかったので、
一時的に自分のを差し込んで、後でまた私のを差し込むはずだったのだけど、忘れてしまった
というのが、彼氏のいいわけで、それはそれで納得した。
昨日は私が住んでいるところで、雪が降った。
彼氏のお友達は朝の8時半に、彼氏に電話をしてきて、
彼らもろもろは一緒に雪遊びをすることになった。
私にとっては、朝の8時半はかなり早かったので、私はまだ家にいることにした。
午後に彼氏は帰ってきたのだけど、今度は3時から5時までお友達の家で
うちの大学のバスケのゲームが見たいと言い始めた。
私は彼氏と一緒に行きたい(というか、行かなければいけない)ところがあったので、
私が支度をしてから、そこに行きがてらお友達の家に行くのはどうか、と提案した。
でも、そうしてしまうと、
お友達の家で3時からゲーム観戦は出来なくなってしまう微妙な時間であった。
おまけに、彼氏はちゃんと3時からゲームを、とても観戦したそうだった。だから、私は
「そんなにゲームが最初からちゃんと観たいなら、一緒にお出かけはあとでもいいよ。」
と言ってしまったのだ。
でも、実際は私だってお出かけついでに、彼氏と雪の中で遊びたかったはずなんである。
でも、私はこんなことを言ってしまったし、彼氏は出かけてしまったのだ。
で、その夜、私が強い口調が災いして、喧嘩になってしまったのだが、
彼氏が一体、君はどうしたのだ?といい始めた。
そこで、彼氏と一緒に考えるうちに、私にはその日の午後に起きたように
「他人がしたいだろうと思うことを優先しすぎるところがある」
ということに気づいた。
こんなことを言うと、私が偽善者みたいに聞こえるけど、本当にそうだと思う。
私は意識してやっているはずではないのだけど、そうなってしまうのだ。
親友と喧嘩した土曜の夜も、そんな私の言動が反映してしまったかな、と少しだけ思う。
でも、いつの間にかイライラして、
ちょっとしたことでもかなり強い口調で彼氏に当たってしまったのだ。
私は気遣いが出来ない人は嫌だ、と彼氏に言った後、
「本当は日が出ているうちに、雪遊びがしたかったのに・・」という展開になってしまった。
で、これは彼氏も勝手に友達と遊びに行って、ごめんということになった。
私がお人よしなんだろうか?それとも、私が気遣いをやめるべきなのだろうか?
私は割りと自分の主張をするし、わがままな性格でもあると思うけど、
もっと自分がしたいことも主張するべきなんだろうか。
なんだか、私はこのことが起きてから、仲がいい人からもそうでない人からも
なめられているのではないか、と思うことが多少ある。(かなりの被害妄想だとは思うけど)
あまりワガママにはなりたくないけど、そういうことはもうナシにしたい。
他人にwalk over(辞書でひいたら、酷い扱いを受けるという意味が出てきたけど、
私は、このフレーズは文字通り、人に踏んづけられながら、無視されるというイメージがある。)
はさせないぞ、と心に誓うのでした。